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8590件のアーカイブスが見つかりました。

条件:徳島県

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明治元年の風雨

明治元年(1868)、風雨、出水。 続きを読む

慶応3年の洪水

慶応3年(1867)8月20日、吉野川大洪水。(「山川町史」、「徳島年鑑」、「丹兵衛日記」、「住友家記録」、「徳島県史」、「吉野川のあゆみ」、「世界善悪年代記」による) 続きを読む

慶応3年の洪水

慶応3年(1867)、板野地方で大水。(吉野川治水年表による) 続きを読む

慶応3年の干ばつ

慶応3年(1867)夏から秋にかけて、80日間干害。 続きを読む

慶応3年の洪水

慶応3年(1867)、大水のため東中富の大川(吉野川)筋で500間(900m)破堤した。(今旧組頭庄屋山田家の文書による) 続きを読む

慶応3年の洪水

慶応3年(1867)、板野地方で大水。 続きを読む

慶応2年の寅の水

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慶応2年(1866)8月5日から大雨が降り始め、7日夜に大洪水が発生した。この時の洪水痕跡が徳島市国府町の蔵珠院に残されている。痕跡は畳から2尺、寺の周囲の畑から約3mの高さにある。また、同寺の過去帳には、この洪水で亡くなった檀家32人が列記されている。 続きを読む

慶応2年の寅の水

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慶応2年(1866)7月末から降り始めた雨は8月5日より大雨となり、7日の夕方に大洪水を引き起こし、各所で堤防が決壊した。この時の洪水の痕跡が徳島市国府町芝原の蔵珠院の茶室と板戸に残っており、床上2尺(約60cm)まで浸水したことが分かる。蔵珠院は地盤を高く築... 続きを読む

慶応2年8月の水害

慶応2年(1866)8月7日の水害により、小仁宇村内では村高176石中70石程が損毛となり、那賀川の堤の一部が破損し、山崩れ3箇所、船2艘流失などの被害があった。(小仁宇村秋本家文書による) 続きを読む

慶応2年の寅の水

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慶応2年(1866)8月7日、「寅の水」と言われる洪水が吉野川平野を襲った。徳島市国府町の蔵珠院の板戸と茶室には洪水痕跡が残されている。また、同寺の過去帳には洪水のために無くなった老若男女32人の法名が列記され、同寺は座上2尺余り浸水したと記されている。座上2... 続きを読む

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