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条件:徳島県

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明治32年の洪水

明治32年(1899)7月9日、暴風雨により、鴨島町牛島の堤防が決壊して江川が吉野川の本流となり、濁流は破堤部から石井町に向けて押し寄せ、浦庄、高原、高川原等が一面に泥海のようになった。人々がよじ登った大木が根こそぎとなり、牛馬は数多く流され、人々は生きた気持... 続きを読む

明治32年7月の台風

明治32年(1899)7月9日、暴風雨、大洪水により、加茂村で流失家屋6戸、浸水家屋100戸、下郡で流家500戸、溺死者150人に及んだ。7月28日に、徳島県知事李家祐二が水害視察。(「大西夘平日誌」による) 続きを読む

明治32年の洪水

明治32年(1899)7月9日、吉野川洪水。 続きを読む

明治32年の洪水

明治32年(1898)7月9日、吉野川大洪水。(吉野川における災害年表) 続きを読む

明治32年の洪水

明治32年(1899)7月9日、吉野川で大洪水。(「吉野川ーその治水と利水」による) 続きを読む

明治32年の洪水

明治32年(1899)7月9日、吉野川大洪水。この時、麻植郡鴨島町牛島の堤防が決壊し、破堤部から石井町に向けて濁流が押し寄せ、浦庄、高原、高川原などが海のようになった。旧吉野川筋でも堤防が決壊し、鳴門市、大麻町、松茂村が大海のようになった。翌10日午前2時頃、... 続きを読む

明治32年の台風

明治32年(1899)7月9日、県下大暴風雨により大洪水。片岡侍従が被害状況視察。 続きを読む

明治32年の洪水

明治32年(1899)7月7日より暴風雨で、9日午後に洪水となった。西は三好郡、東は板野郡長原まで平一面の出水となっていたところに、吉野川筋市場村より牛屋島村に至る堤防数百間が一時に押し切れ、撫養地方までも大海のようになり、溺死者は計り知れない。広島村でも破堤... 続きを読む

明治32年の洪水

明治32年(1899)7月9日、吉野川筋では出水し、堤防が数箇所決壊したため、堀江、松茂、大津の各村は大海のようになった。同日午後11時頃に、前記各村に浸入した水は撫養町の南浜、斎田、木津に押し入ったが、警察署の巡査が各村に出張し救護に務めたことなどにより1人... 続きを読む

明治32年7月の台風

明治32年(1899)7月8日8時頃、台風が大隅半島から上陸し、非常にゆっくり北進したので、西日本の雨は多かったが風はさほどではなかった。8日の雨量は徳島91ミリ、和食302ミリ、川井295ミリ、石井216ミリ、小松島197ミリ、9日の雨量は徳島165ミリ、富... 続きを読む

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