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条件:徳島県

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大正元年の風雨

大正元年(1912)8月21日、大風雨により休場神宮寺下の山麓崩壊、家屋3軒倒壊、負傷1人。 続きを読む

大正元年の山崩れ

大正元年(1912)8月21日、暴風雨の夜半、冨士権現下の山麓が高さ10m、幅10mにわたって崩壊し、住家3軒が土砂に押しつぶされた。村民総出で埋没物、土砂の除去作業に当たった。 続きを読む

明治45年の水害

明治45年(1912)9月23日、宮川内谷川の堤防決壊14箇所、延長427間、荒地14町7反歩、浸水200町歩、流失家屋6棟、倒壊家屋18棟、死者3人、牛馬3頭。23日及び24日七条中筋へ炊き出し、配給、罹災救助、食料米3石3斗1升2合、小屋掛料115円、就業... 続きを読む

大正元年の台風

大正元年(1912)8月、3度にわたって激しい暴風雨に見舞われ、撫養地方の塩田堤防は53箇所(延長480間)が決壊した。撫養専売支局及び瀬戸派出所管内の製塩浸水流解は32万5,170斤に達した。また、暴風雨による農作物の被害も大きく、米価は1斗当たり20円にも... 続きを読む

明治45年の火災

明治45年(1912)5月18日午前10時、内川内(下名)から出火し、南東の強風にあおられ飛び火して16棟が焼失した。当時の損害見積額は7,000円と言われている。 続きを読む

大正元年の干ばつ

大正元年(1912)5月~7月、大干ばつのため、加茂村で田植え未済20町歩。(「大西夘平日誌」による) 続きを読む

明治45年3月の火災

明治45年(1912)3月22日正午、中庄浦川の大和製綿工場が失火し、北風が強く同工場寄宿舎や本宅及び民家、巡査駐在所を全焼または半焼した。さらに2丁も離れた灰屋興行部、芝居小屋をも類焼。 続きを読む

大正元年の洪水

大正元年(1912)の洪水及び大正7年(1918)の洪水を契機に、那賀川沿岸の住民は改修の必要を訴えた。この結果、那賀川は大正12年(1923)に重要河川に指定され、昭和4年(1929)には直轄改修事業が開始されることになった。 続きを読む

大正元年の洪水

大正元年(1912)、吉野川は大洪水に見舞われた。この時の洪水氾濫痕跡は今も古い民家の納屋の壁や戸袋に残っている。最近行った痕跡の調査結果から、洪水の氾濫は軒下浸水の規模であったことが分かっている。 続きを読む

大正元年の洪水

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大正元年(1912)の大洪水の洪水痕跡を示した石柱が、山川町の吉野川改修記念碑の横に立っている。石柱の高さは記念碑の土台から約2.6mである。 続きを読む

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