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条件:徳島県
昭和9年(1934)10月20日、中型台風が来襲、県下の被害は僅少。(「徳島県災異誌」、「徳島県史」、「徳島県史料年表」、「吉野川」、「松島町史」等による) 続きを読む
昭和10年(1935)3月24日、発達した低気圧が四国沖を通り暴風雨となった。県南の多雨地で100ミリを越える所も出たが、一般には少なく、殊に吉野川沿いでは少なかった。しかし、風はやや強く、徳島で南東15.3mを計測し、海上交通が混乱したほか、徳島護岸の決壊、... 続きを読む
昭和10年(1935)3月24日、発達した低気圧が四国沖を通り暴風雨となった。県南の多雨地で100ミリを越える所も出たが、一般には少なく、殊に吉野川沿いでは少なかった。しかし、風はやや強く、徳島で南東15.3mを計測し、海上交通が混乱したほか、徳島護岸の決壊、... 続きを読む
昭和10年(1935)3月24日、発達した低気圧が四国沖を通り暴風雨となった。県南の多雨地で100ミリを越える所も出たが、一般には少なく、殊に吉野川沿いでは少なかった。しかし、風はやや強く、徳島で南東15.3mを計測し、海上交通が混乱したほか、徳島護岸の決壊、... 続きを読む
昭和10年(1935)6月、暴風雨により勝浦川が増水し、砂利が水田に混入し、新築中の生比奈小学校が倒壊した。(「勝浦町前史」、「勝浦町後史」による) 続きを読む
昭和10年(1935)6月27日から29日まで大雨が続き、多雨域では各日200ミリ前後を観測して、洪水警報を出すほどであった。被害は田畑3,500町、死者1人、負傷者1人、住家半壊1戸、非住家全壊10戸、道路5箇所、西祖谷山村で300坪決壊、那賀川で木材流失3... 続きを読む
昭和10年(1935)6月27日から29日まで大雨が続き、多雨域では各日200ミリ前後を観測して、洪水警報を出すほどであった。被害は田畑3,500町、死者1人、負傷者1人、住家半壊1戸、非住家全壊10戸、道路5箇所、西祖谷山村で300坪決壊、那賀川で木材流失3... 続きを読む