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条件:徳島県

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大正7年の台風

大正7年(1918)8月29日、台風により、那賀川で大洪水。(「徳島県災異誌」、「水害統計」、「那賀川改修史」等による)(那賀川における災害年表) 続きを読む

大正7年の台風

大正7年(1918)8月29日、前日来の暴風雨が洪水を引き起こし、その夜は水量が2丈5尺に及んだ。西原以東中島の堤防はうねりにうねって危なく見えたが、急に減水したため、格別の被害はなかった。翌朝になって、この減水は、上流対岸の柳島、横見、下大野の破堤の結果であ... 続きを読む

大正7年の台風

大正7年(1918)8月29日、台風により集中豪雨となり、福原で408ミリを記録した。那賀川の最高水位は古庄で6.2mに達し、右岸の中野島村、大京原で被害が大きかった。また、江野島・色ヶ島の大手海岸の砂浜や松原は高潮により流失した。この洪水は、大正元年(191... 続きを読む

大正7年の台風

大正7年(1918)8月29日、台風のため、那賀川及び桑野川では堤防決壊等により甚大な浸水被害が発生した。 続きを読む

大正7年8月の台風

大正7年(1918)8月29日、台風により、日雨量は福原408ミリ、朴野335ミリ等を観測した。このため、那賀川は大洪水となり、最高水位(宮浜で20.6m、古庄で6.2m)に達した。 続きを読む

大正7年の山崩れ

大正7年(1918)8月30日、姥ヶ谷部落の裏山山腹崩壊により、1戸倒壊、2名死亡。(「柳瀬部落誌」による) 続きを読む

大正7年の台風

大正7年(1918)8月30日、前日来の暴風雨により、那賀川、岡川が氾濫し、那賀川筋は横見で120間、柳島で100間、岡川筋は柳島南別当で30間にわたり堤防が決壊した。稲作はほとんど皆無に近く、田地の荒れ地は100町余となり、溺死者数名を出した。 続きを読む

大正7年の洪水

大正7年(1918)8月30日、大洪水により、木材流失他被害甚大。(「徳島県災異誌」による)(那賀川における災害年表) 続きを読む

大正7年の台風

大正7年(1918)8月30日、暴風雨により、井川町井内谷で家屋流失1軒、倒壊16軒。 続きを読む

大正7年の洪水

大正7年(1918)8月30日、大洪水。当時7歳の人が書いた手記が掲載されている。この手記には、洪水時に流木や牛が流れていた様子や、小学校の教室の壁には浸水の跡が残っていたこと、洪水後の稲刈り中に流された死者が田んぼで発見されたこと、洪水後に那賀川改修工事が要... 続きを読む

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