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条件:徳島県
安政4年(1857)7月1日午前8時から大暴風雨となり、被害は安政元年の地震よりも甚だしく、倒れた家は大野三村56軒、立善寺清水32軒、西方22軒、明谷30軒となった。なお、阿波、淡路全部で41,400軒に及んだ。 続きを読む
安政4年(1857)、20日近く雨天が続いた後、7月1日に大雨が降り、所谷の南上の山が崩れて山潮が吹いた。戸櫃の高さ(約1m)まで濁流が来たことを示す痕跡が民家に残されていた。 続きを読む
安政4年(1857)6月晦日、大暴風、夜9ツ時雨降り出し、翌7月1日朝雨降り止んだが、朝5ツ時より追々風募り、雨も頻りに降り、朝4ツ時過ぎ大いに吹き出し、我が建物、瓦大損した。この暴風により、御国中で潰家は凡そ4万軒余となったとのことである。(「板野郡誌-中財... 続きを読む
安政4年(1857)7月1日、未曾有の大暴風雨。被災の模様は江戸将軍の耳に達す。(「渭水聞見録」、「蜂須賀家記」、「阿淡年表秘録」、「阿波志」、「板野郡史」、「大津村誌」等による) 続きを読む
安政4年(1857)6月晦日、大暴風、夜9ツ時雨降り出し、翌7月1日朝雨降り止んだが、朝5ツ時より追々風募り、雨も頻りに降り、朝4ツ時過ぎ大いに吹き出し、我が建物、瓦大損した。この暴風により、御国中で潰家は凡そ4万軒余となったとのことである。(「板野郡誌-中財... 続きを読む
安政4年(1857)7月1日、大暴風雨。名東郡では早渕、府中、和田、矢野、延命の5か村で700石余御損亡、潰家94戸、半壊28戸、潰納屋39戸、半壊納屋2戸、氏神1箇所等。(「国府町史資料」による)三好郡では死人250人。(「三好郡史」による)板野郡では建物、... 続きを読む