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条件: 高潮
明治3年(1870)5月18日、大暴風雨が襲来し、堀川左岸堤防が決壊して大新田村に浸水し大被害を受けた。そこで代官所手代が指揮者となり、復旧工事に行い、25日かけて潮留に成功したが、また堤防が切れ、決壊口はさらに大きくなった。手代は罷免となり、代わって大新田村... 続きを読む
慶応2年(1866)8月7日、風雨。真覚寺日記には「7日四ツ(10時)頃より風添い雨戸を立籠る。夜入風大に吹き恐ろし。本堂余間の雨頻りに漏り夜半過より風斗になる。8日昨夜の風雨に惣じての家も畠物も散々に成て当寺浜の唐芋地へ少々汐打込というて来る。夜秋風肌に覚え... 続きを読む
万延元年(1860)7月28日、北谷繁蔵記録によると「浪高で海辺はことのほか大痛み」と記され、高潮が襲来したらしい。このため、橘や鵠の土手が残らず崩れ、塩浜も破壊されたほか、小池、長浜、美の潟(見能方)、羽弥崎(林崎)、南林、中林、石仏の田地には海水が打樋川を... 続きを読む
万延元年(1860)7月11日、大風雨、高潮、津波により青毛立秋、徳島より撫養に至る海辺被害22,000石余、徳島より南方海辺に至る被害5万石余、年貢御免となる。(「板野郡誌」による)/このほか「板野郡誌-中財家文書」、「川内村史」の記事が掲載。 続きを読む
万延元年(1860)7月11日夜9ツ半(午前1時頃)より北風が吹き出し、雨も伴い、吉野川では八合目まで水が増した。昼7ツ時(午後4時頃)より稲妻を伴いあらしとなり、吉野川は増水し、所々で堤防が切れ、長岸新田、広島新田などは大きな被害を受けた。この時の高潮により... 続きを読む
万延元年(1860)7月11日、大風、高潮、津浪により、徳島から撫養に至る海辺被害は2万2千石余、徳島から南方海辺に至る被害は5万石余となり、年貢御免となった。(「板野郡記録」による) 続きを読む