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条件: 高潮

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明治17年8月25日の台風

明治17年(1884)8月25日、台風により高潮。堤防決壊、溺死者53人、その他被害多し。(「愛媛県史」による) 続きを読む

明治17年の台風

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明治17年(1884)8月25日、沖縄の西方より高速度で北東に進んだ台風は九州北部を通過し、鳥取県境港付近より日本海に去った。北条市地方では、この時の暴風・海嘯(高潮)によって鹿島神社付近の山崩れが起こり、潮位は辻町で6尺(1.8m)に達したという。粟井村郷土... 続きを読む

明治17年の台風

明治17年(1884)8月25日、台風に伴う高潮により、堤防決壊、溺死者53人。 続きを読む

明治17年の高潮

明治17年(1884)8月25日、台風による高潮のため、新田開発でつくられた大可賀の集落を護っていた堤塘が決壊し、53人が亡くなった。御名号堂という地元のお堂には「明治拾七年大暴風雨津浪惨状之図」と書かれた絵額が奉納されている。高潮被害から三回忌に大可賀に供養... 続きを読む

明治17年の台風

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明治17年(1884)8月25日、西日本を襲った台風は高潮による被害をもたらした。中でも温泉郡山西村の大可賀新田では、午後11時頃、高潮のため北西の堤防が決壊、一帯は潮が充満し、戸数70戸のうち溺死者53人、家屋の流失49戸、田畑流失53haの被害をこうむった... 続きを読む

明治17年の台風

明治17年(1884)8月25日午後9時から26日午前4時にかけて、台風による暴風のため、人家の破壊5軒、半倒2軒、建物の破壊1棟、樹木損害25本、また、海潮のため、人家の破壊2軒、半倒13軒、建物の破壊4棟、堤塘の破壊52箇所、道路の破損5箇所、稲仕付田9町... 続きを読む

明治17年の小部の洪水

明治17年(1884)8月25日、台風により風と高潮が被害をもたらした。当時の海南新聞は小部で100人余の死者が出たと報じているが、確証はない。しかし、白玉神社の石段が3段海水に浸かったことや、小部の人たちが峠を越えて樋口に逃げていったことは間違いないことであ... 続きを読む

明治17年8月の水害

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明治17年(1884)8月25日、瀬戸内海全体で甚大な高潮の被害が出た。愛媛県内では現在の八幡浜市、西予市など宇和海沿岸部でも高潮被害を受けたが、最も被害が大きかったのは現在の松山市で、三津浜や大可賀で犠牲者が出た。大可賀では堤塘が決壊し、海水が低地に大量に流... 続きを読む

明治17年の台風

明治17年(1884)8月25日、台風による暴風雨と高潮で甚大な被害が出た。被害は海岸地域に集中し、高さ1.5m以上の高潮によって、沿岸の家屋、堤防、道路などは壊滅状態で、復旧には多年を要した。清水地区では南西の暴風により、人家や大木が倒れた。新谷三島神社境内... 続きを読む

明治17年の台風

明治17年(1884)8月25日夕6時頃から東風が強く、ついで南風から西風に転じた。午後11時~12時頃、猛烈な風雨となり、高汐も起こり、人家、田畑に多大な被害を与えた。被害は海水浸入田1町3反余、畑19町2反余、宅地4反余、作物被害甘藷56町3反余、学校の流... 続きを読む

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