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条件: 高潮
明治3年(1870)5月18日、大暴風雨が襲来し、堀川左岸堤防が決壊して大新田村に浸水し大被害を受けた。そこで代官所手代が指揮者となり、復旧工事に行い、25日かけて潮留に成功したが、また堤防が切れ、決壊口はさらに大きくなった。手代は罷免となり、代わって大新田村... 続きを読む
明治3年(1870)9月6日から台風のため風雨が強く、11日に勝浦川の堤防が決壊した。元根井など海岸部は、高潮の被害を受け、内陸部の外開・北開から中田山路端まで潮が入った。横須のお玉井利も被害も受け、日開野、芝生、田野、金磯の各新田にも潮が入り、稲作に大きな被... 続きを読む
明治3年(1870)9月7日より大雨が降り、8日は中喜来一帯が洪水となった。堤防の破損箇所は43箇所、長さ約500mにわたり、土橋が19箇所流失した。三木文庫文書「天気帳」によると、この洪水の水位は、慶応2年寅年の水に比べて1尺5寸ほど低かった。 なお、この被... 続きを読む
明治6年(1873)8月29日午前4時頃、大雨が降り出し、午前10時頃には激しい暴風雨となり、耳目を倒し、屋根がわらを吹き飛ばし、家屋の倒壊が続出した。この暴風雨のため、県下の各河川が氾濫し、海岸部では高潮により、県下全般に大きな被害を受けた。特に越智郡今治村... 続きを読む
明治17年(1884)8月25日、台風により風と高潮が被害をもたらした。当時の海南新聞は小部で100人余の死者が出たと報じているが、確証はない。しかし、白玉神社の石段が3段海水に浸かったことや、小部の人たちが峠を越えて樋口に逃げていったことは間違いないことであ... 続きを読む