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条件: 高潮
万延元年(1860)7月11日、大風、高潮、津浪により、徳島から撫養に至る海辺被害は2万2千石余、徳島から南方海辺に至る被害は5万石余となり、年貢御免となった。(「板野郡記録」による) 続きを読む
万延元年(1860)7月11日、暴風に加えて、夜7ツ時より小松新田、長原浦、米津新田等に大潮が打ち込み、稲毛が損害を受けた。(川内村の中財熊雄氏所蔵文書による) 続きを読む
万延元年(1860)7月11日~16日の7日間の大雨により、阿波全土で浸水、破堤が各所で起こった。撫養地方は第一の大損害を受け、台風・高潮の被害により、塩田、田畑は浸水荒廃し、家屋は潰れ流失し、岡崎十人衆の家も汐に引かれ、道路は決壊、船は流失した。(「渭水聞見... 続きを読む
安政7年(1860)7月11日及び28日に大水、大風、突浪、高潮によって青毛立、徳島より撫養に至る海辺の被害25,000石、撫養塩浜大荒れ、岡崎十人衆家潮に引かれる。(「板野郡誌」による)徳島より南方海部に至る被害5万石余、年貢御免となる。 続きを読む
万延元年(1860)7月11日、大風雨、高潮、津波により青毛立秋、徳島より撫養に至る海辺被害22,000石余、徳島より南方海辺に至る被害5万石余、年貢御免となる。(「板野郡誌」による)/このほか「板野郡誌-中財家文書」、「川内村史」の記事が掲載。 続きを読む
万延元年(1860)7月11日、台風による高潮のため、藍田や田畑が浸水し、家屋が潰れたり流失した。また、所々で道路が破壊され、船の流失もあった。 続きを読む
万延元年(1860)7月28日、北谷繁蔵記録によると「浪高で海辺はことのほか大痛み」と記され、高潮が襲来したらしい。このため、橘や鵠の土手が残らず崩れ、塩浜も破壊されたほか、小池、長浜、美の潟(見能方)、羽弥崎(林崎)、南林、中林、石仏の田地には海水が打樋川を... 続きを読む
慶応2年(1866)8月7日、風雨。真覚寺日記には「7日四ツ(10時)頃より風添い雨戸を立籠る。夜入風大に吹き恐ろし。本堂余間の雨頻りに漏り夜半過より風斗になる。8日昨夜の風雨に惣じての家も畠物も散々に成て当寺浜の唐芋地へ少々汐打込というて来る。夜秋風肌に覚え... 続きを読む