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19541件のアーカイブスが見つかりました。

条件: 風水害

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大正7年の洪水

大正7年(1918)8月30日、大洪水。当時7歳の人が書いた手記が掲載されている。この手記には、洪水時に流木や牛が流れていた様子や、小学校の教室の壁には浸水の跡が残っていたこと、洪水後の稲刈り中に流された死者が田んぼで発見されたこと、洪水後に那賀川改修工事が要... 続きを読む

大正7年の洪水

大正7年(1918)8月30日、大洪水、木材流失他被害甚大。(「徳島県災異誌」による) 続きを読む

大正7年8月の台風

大正7年(1918)8月29日、台風が室戸をかすめて大阪へ抜けた。被害は死者2人、全壊158戸、半壊113戸、流失3戸、床上浸水188戸、床下浸水429戸、堤防決壊2,799間、破損137間、道路の流失・埋没209戸、破損1,067間、橋流失7箇所に及んだ。 続きを読む

大正7年8月の台風

大正7年(1918)8月29日、台風が室戸から徳島県の海岸をかすめ和歌山県に上陸した。1日雨量は、勝浦川上流の福原で408ミリ、那賀川中流で300ミリ以上に達し、那賀川で洪水が発生した。 続きを読む

大正7年の台風

大正7年(1918)8月29日、台風により、那賀川で大洪水。(「徳島県災異誌」、「水害統計」、「那賀川改修史」等による)(那賀川における災害年表) 続きを読む

大正7年の台風

大正7年(1918)8月29日及び9月14日、台風により、死者・行方不明47人。(「三豊郡史」、「香川県気象災害誌」、「財田村年表」、「香川県史」による) 続きを読む

大正7年の台風

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大正7年(1918)8月29日~30日、暴風雨。北浦、渕崎で死者8名、負傷者多く、内海地区でも揚柳橋、大川橋、西村久徳の橋、神懸橋、遊仙橋、青木橋、福田村の伊豆川橋、森庄川橋が流失した。 続きを読む

大正7年の台風

大正7年(1918)8月29日、台風のため、那賀川及び桑野川では堤防決壊等により甚大な浸水被害が発生した。 続きを読む

大正7年8月29日の台風

大正7年(1918)9月14日の台風は、風速11.8m/秒、雨量140ミリであった。(高知新聞による) 続きを読む

大正7年8月の台風

大正7年(1918)8月29日~30日、台風が紀伊水道を北上した。風は小豆郡及び木田郡以西、三豊郡北部に至る地域が最も強く、雨は小豆郡南部が最も多く、小豆郡南部の被害は甚大であった。県下の被害は死者23人、行方不明3人、負傷者11人、家屋の全壊377戸、流失2... 続きを読む

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