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条件: 風水害

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大正12年の洪水

大正12年(1923)7月11日の洪水では、「7月11日は特に甚しく小野川は未曾有の出水にして、小野川橋が破損して鉄道遮断。12日には拝志村下林開発の重信川堤防など諸川で決壊し被害甚大であった」と記録されている。 続きを読む

大正12年の洪水

大正12年(1923)7月11日、大洪水により、河川の流出、堤防の決壊多し。(「明浜こぼれ話」、「愛媛県史」、「東宇和郡沿革史」等による) 続きを読む

大正12年の豪雨

大正12年(1923)7月11日、豪雨により、中南予で被害甚大。 続きを読む

大正12年の洪水

大正12年(1923)7月11日~12日の大雨により、12日午後に石手川が決壊し、80余町の水田流失した。大谷川の出水も甚だしく、消防団員が総出動し、郡中署からも所長以下現場に出動し、警戒に努めた。矢取川も出水して神崎伊予神社付近に濁流が氾濫し、松前方面の稲に... 続きを読む

大正12年の洪水

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大正12年(1923)7月11日、数十年来の大降雨があり、小田川の増水は甚だしく、字上村新川筋堤防決壊2箇所、矢ヶ谷・鳥越方面の高い道路さえ数寸の流水がある有様であった。町全部が浸水し、田畑、山林の被害は甚大で、豊秋橋は流失した。豊秋橋の復旧工事として鉄筋コン... 続きを読む

大正12年の大雨

大正12年(1923)7月11日~12日、梅雨前線のため豪雨となり、県下の各河川は増水し、特に中予・南予に大きな被害をもたらした。温泉郡では重信川、石手川等の堤防が決壊、喜多郡では肱川等の堤防が決壊、内子分署館内で死者8人等の被害が出て、西宇和郡、東宇和郡でも... 続きを読む

大正12年の洪水

大正12年(1923)7月11日、大雨により中南予で死者10人、家屋流失127戸。重信川出水で、斉院之瀬橋流失、被害激甚。 続きを読む

大正12年の豪雨

大正12年(1923)7月11日から12日にかけて、梅雨前線が低気圧に刺激されて活発になり、県下に豪雨をもたらした。(「愛媛県史概説」による) 続きを読む

大正12年の豪雨

大正12年(1923)7月11日、豪雨により、河川の流出、堤防の決壊多し。 続きを読む

大正12年7月の豪雨

大正12年(1923)7月11日、豪雨により、雨量200ミリを記録。河川の流出、堤防の決壊多し。(「愛媛県史」、宇和島測候所の記録による) 続きを読む

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