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条件: 風水害
嘉永2年(1849)7月8日~10日、豪雨のため国内の河川からあふれて大水となった。「酉の水」または「阿房水」と呼ばれた。この水害については「三好郡志」、「川内村史」の記事が掲載されている。 続きを読む
嘉永2年(1849)7月10日、酉の水または阿房水、阿呆水、郡内で死者250人。/井川町辻大浸水、人畜の害なし。(「吉野川事典」、「馬路川洪患志」、「辻風土記」、「三好郡志」等による)(吉野川の災害史年表) 続きを読む
嘉永2年(1849)7月9日大風雨、夜に入り尚やまず出水。10日5ツ時(8時頃)より大風雨となり、北東の風強く、樹木を吹き倒せり。11日も北東の風にて出水せり。9日、11日の洪水は平地(小姓町)より高きこと凡そ4尺5寸ばかりなりしと。「上岡利太郎手記」には「水... 続きを読む
嘉永2年(1849)7月9日、洪水により、損壊家屋池川郷内27戸。7月11日、伊野村で人家600戸が被災、うち154戸が流失、16人流死、堤防30箇所決壊。(仁淀川の主な洪水の歴史による) 続きを読む
嘉永2年(1849)7月9日、洪水により、仁淀川の堤防は吾川郡側では新川付近等数箇所で決壊したが、高岡側も決壊した。土佐市高岡町井関の広楽寺の過去帳には「嘉永二年酉七月九日から大しけ、十日夜四つ片(半)から大水、寺板敷より五、七寸上り、家流す」と記されている。... 続きを読む
嘉永2年(1849)8月26日、大風雨、夜に入れても止まず出水。27日8時よりまた大風雨となり、4年前の丙午の年と同様に北東風強く、樹木を吹き倒す。28日、出水。両出水とも平地(小姓町)より4、5尺高しと。(「中村町史」による)/8月、暴風、大洪水、市中内舟乗... 続きを読む