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条件: 風水害
慶応2年(1866)8月6日、寅年の大水により、板川(いたご)谷左岸の山が崩壊し、土石流で田が埋まり、牛小屋と牛がつぶされた。堆積土砂の跡は「カワラ」と呼ばれている。昭和63年に行われた寺戸恒夫先生等による現地調査の結果が記載されている。なお、同日に湯谷の中山... 続きを読む
慶応2年(1866)8月6日、寅の水という。(「徳島県史料年表」による)/7日夕には古来稀な大水となった。西貞方では助次墾の堤防が崩壊して一丈有余の水嵩となり倒家多く圧死するもの10人、東貞方では圧溺死7人、中原では別宮八幡前の堤防の上を越すこと5、6尺の水量... 続きを読む
慶応2年(1866)8月6日より豪雨となり、8日には吉野川、祖谷川は最高の水位を示し、かつてない大洪水となった。この時には、大利込観音堂の根石まで水が達し、川崎村では人家4軒、大利村では家屋1軒が流失した。 続きを読む
慶応2年(1866)8月5日から大雨が降り始め、7日夜に大洪水が発生した。この時の洪水の痕跡が徳島市国府町の蔵珠院に残されている。痕跡は茶室の畳から2尺、寺の周囲の畑から約3mの高さにある。また、同寺の過去帳によると、この洪水で檀家32人が亡くなったことが記さ... 続きを読む
慶応2年(1866)8月7日の水害により、小仁宇村内では村高176石中70石程が損毛となり、那賀川の堤の一部が破損し、山崩れ3箇所、船2艘流失などの被害があった。(小仁宇村秋本家文書による) 続きを読む
慶応2年(1866)8月7日から8日にかけて、大風洪水があった。長尾町では鴨部川が各所で決壊し、濁水があふれ家屋の損害、農作物の被害がおびただしく、人畜の死傷も多かった。寅年の洪水と言って、今に伝えられている。 続きを読む