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19541件のアーカイブスが見つかりました。

条件: 風水害

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慶応2年の洪水

慶応2年(1866)2月1日、大風に雷を伴って大豪雨となり、渡川流域は大出水となった。 続きを読む

慶応2年の洪水

慶応2年(1866)2月8日、那賀川大洪水、那賀川下流の土手切れる。(「徳島県災異誌」による) 続きを読む

慶応2年5月の洪水

慶応2年(1866)5月14日、大水。 続きを読む

慶応2年5月の高波

慶応2年(1866)5月15日、岩崎の道両3日跡の大波により大崩れになる。/史料掲載:「晴雨日記」 続きを読む

慶応2年の洪水

慶応2年(1866)7月、昼間土居では7、8尺の所にある梨の木に船をつなぐという前段未聞の大水となった。寅の水と言われる。(「三好町誌」による) 続きを読む

慶応2年の洪水

慶応2年(1866)8月、台風のため、那賀川及び桑野川では堤防決壊等により甚大な浸水被害が発生した。 続きを読む

慶応2年の洪水

慶応2年(1866)7月、洪水。(「伊予風水害小史」による) 続きを読む

慶応2年の寅の水

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慶応2年(1866)7月末から8月初めにかけての吉野川の大洪水は、「寅の水」と言われ、讃岐山脈の裾野から四国山地の裾野まで見渡す限りの水面であったという。徳島市国府町の蔵珠院に水害の記録と痕跡が残されている。同寺の過去帳には、国中で37,020人の男女や牛馬な... 続きを読む

慶応2年の洪水

慶応2年(1866)7月、洪水。(「伊予風水害小史」による) 続きを読む

慶応2年の寅の水

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慶応2年(1866)8月7日、「寅の水」と言われる洪水。徳島市国府町の蔵珠院の板戸には洪水痕跡が残されている。同寺の過去帳によると、痕跡は座上2尺で、檀家32人が溺死したという。山門前には洪水痕跡碑が建立されている。 続きを読む

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