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19541件のアーカイブスが見つかりました。

条件: 風水害

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大正9年の洪水

大正9年(1920)8月15日朝、前日からの雨が篠つく豪雨となり、伊与木川は濁水氾濫して、全村の耕地は水底に没した。人家もほとんど床上浸水し、人々は胸を没する濁水の中を高地に避難した。浸水がひどかった家では、夜になって浸水が二階の床上3尺に及び、二階から船で脱... 続きを読む

大正9年の水害

大正9年(1920)8月15日、四万十川は甚大な被害をもたらした。「幡多郡誌」は当日の様子を「午後五時頃に至りては暴雨車軸を流し、渓谷平野の別なく濁流滔々として石を噛み厳に激し轟々たる音いと物凄く近雷の音遠雷の響殷々たり。霹靂之に和して家屋山岳林野天地、万象悉... 続きを読む

大正9年8月の台風

大正9年(1920)8月15日、台風により、雨量224ミリを記録。南予地方で特に雨量多く、大山津波起こり、多数の死傷者を出す。(「愛媛県史」による) 続きを読む

大正9年の台風

大正9年(1920)8月15日の台風により、大月町では竜ヶ迫18名、弘見1名の合計19名の死者を出した。竜ヶ迫で多数の犠牲が出たのは、真夜中に山崩れの直撃による家屋倒壊が原因と推察されるが、戸数75戸、人口400余人の小集落にとって、死者18名、倒壊流失大破の... 続きを読む

大正9年の台風

大正9年(1920)8月15日、台風により、南予地方で特に雨量が多く、大山津波が起こり、多数の死傷者が出た。 続きを読む

大正9年の台風

大正9年(1920)8月15日、台風、被害は幡多に多い。8月の須崎の降雨は700~1,000ミリ。台風が足摺岬に上陸した。特に幡多郡では、死者187人、家屋全半壊2,484戸の甚大な被害が出た。 続きを読む

大正9年の台風

大正9年(1920)8月15日、台風が土佐湾を西北進して足摺に上陸し、県西部の被害甚大。被害は死者186人、家全半壊2,484棟に及んだ。幡多の惨状は言語に絶す。 続きを読む

大正9年の台風

大正9年(1920)8月14日午前5時より降雨となり、15日午後には豪雨となり、午後7時頃には濁水が河溝に溢れ、山崩れが始まった。9時頃松田川が氾濫し、松田川新地の堤防が決壊し、濁流が宿毛町内全域に流れ込み、家屋の倒壊・流失・浸水が相次いだ。浄土寺の本堂も床上... 続きを読む

大正9年8月の台風

大正9年(1920)8月15日~17日、台風により、雨量588ミリ、大被害。(西条市自然災害年表による) 続きを読む

大正9年8月の台風

大正9年(1920)8月15日昼前から雷雨となり、麦ヶ浦では山は崩れ、川溝は土砂で埋もれるなど大惨事となった。内泊より青年団30人が加勢に来て、土砂の取り除きにあたった。(坂本成之氏の記録による) 続きを読む

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