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19541件のアーカイブスが見つかりました。

条件: 風水害

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大正元年の台風

大正元年(1912)9月22日、23日、台風により、田野の雨量は432ミリに達し、倒壊家屋数々、死者数十人を出した。(「高知年鑑」、「田野文化史」、「奈半利町史考」、「北川風土記」による) 続きを読む

大正元年の洪水

大正元年(1912)9月22日より24日及び10日2日、洪水により、水量は田地上1丈となった。但し、潮水浸入は約5尺であった。堤防214間が決壊し、被害範囲は全村にわたり、稲田、大豆、芋、甘藷、梨に被害が出た。このうち、収穫皆無地は約10町歩、荒地は約40町歩... 続きを読む

大正元年の台風

大正元年(1912)9月22日夜半前、台風が県南海岸をかすめて阪神地区に上陸した。雨量は21日に和食で357ミリ、神野305ミリ、22日に一宇で555ミリ、市場378ミリ、福原351ミリとなった。このため、吉野川、那賀川、勝浦川で出水となり、板野郡では田畑の冠... 続きを読む

大正元年9月の台風

大正元年(1912)9月22日~23日、台風。(「多度津の気象百年」による) 続きを読む

明治45年9月の洪水

明治45年(1912)9月22日~23日、那賀川大洪水。住宅浸水四丈一尺被害多し。 続きを読む

大正元年の台風

大正元年(1912)9月22日、水害。 続きを読む

大正元年の台風

大正元年(1912)9月22日、大台風。(「徳島県災異誌」による)(那賀川における災害年表) 続きを読む

大正元年の洪水

大正元年(1912)9月22日夜、中山川の角部(つのべ)土手が約100mにわたって決壊し、氾濫した水は蛭子(えびす)、今在家に流れ込み、広江川の今在家側土手、海岸の堤防を押し流した。今在家ではほとんどの家が床上浸水し、低い家では屋根を破って助けを求めた者もいた... 続きを読む

大正元年9月の洪水

大正元年(1912)9月22日、前代未聞の風雨、大洪水のため、加茂谷筋その他で大被害あり。(「大西夘平日誌」による) 続きを読む

明治45年の台風

明治45年(1912)9月22日、台風により菊間町で21箇所破損、河内で倒家1戸、負傷21人、山崩れ無数。 続きを読む

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