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条件:高知県 風水害

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文化12年の洪水

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文化12年(1815)7月、物部川の洪水により、堰留神社の社殿が流失し、同年10年に再興されたという記録が残されている。 続きを読む

文化12年の洪水

文化12年(1815)、大洪水。亥の大変という。物部川両岸の堤防はほとんど切れ、田畑、家屋を流し、流死する者も多かった。 続きを読む

文化12年の洪水

文化12年(1815)、物部川が竹が端で決壊した。「亥の大変」と言われている。 続きを読む

文化12年の水害

文化12年(1815)、四万十川の水害のため、83人が犠牲になった。 続きを読む

文化10年の洪水

文化10年(1813)4月12日、潮江川の洪水により、唐人町の人家は床下浸水した。燧袋には「夜潮江川洪水惣出より二尺高く、唐人町人家座上へ上がる」と記されている。 続きを読む

文化10年の洪水

文化10年(1813)4月12日、天神森堤、役知堤切れる。水位は8尺7寸5分に達した。 続きを読む

文化9年の台風

文化9年(1812)8月16日~19日、大風雨洪水。(太平寺資料による) 続きを読む

文化9年の洪水

文化9年(1812)7月21日、仁淀川の洪水により高岡、中島、塚地辺りでは流失の家のあったようである。高岡の商人が貯えていた米も夥しく濡れたとのことである。(「燧袋」、「楠瀬大枝日記」による) 続きを読む

文化9年の洪水

文化9年(1812)7月21日、仁淀川の洪水により、中島堤防が決壊し、高岡町一帯は浸水した。(「楠瀬大枝日記」による) 続きを読む

文化9年の洪水

文化9年(1812)7月21日、仁淀川の洪水により高岡、中島、塚地辺りでは流失の家のあったようである。高岡の商人が貯えていた米も夥しく濡れたとのことである。(「燧袋」、「楠瀬大枝日記」による)/領内暴風雨、高岡、幡多二軍被害甚大。(「高知年表」による) 続きを読む

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