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条件:愛媛県 風水害

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文政9年5月の洪水

文政9年(1826)5月21日、洪水、水層33尺1寸、流死30人、流失46家。(「伊予風水害小史」による) 続きを読む

文政9年の洪水

文政9年(1826)5月21日、石手川の大洪水により、市坪は押し流され、数十戸が流失した。この時以来、市坪の集落は、少しでも高い所へと上流の現在地に移住した。出合付近の100軒余が決壊した。 続きを読む

文政9年の洪水

文政9年(1826)5月21日、石手川で洪水、出合川の辺りが去年の切口の外に百間程もきれた。流死80人余、流家潰家200軒余。 続きを読む

文政9年5月の洪水

文政9年(1826)5月21日、出水3丈3尺、流死30人、流失46家。(「大洲藩譜」による)/大洲領若宮村中村の辺り、家根迄水上がり、流家・潰家200余軒、流死80人余の由。(「松山叢談」による)/大洲の水位3丈3尺4寸。(「大洲警察署記録」による) 続きを読む

文政9年の洪水

文政9年(1826)5月21日、肱川で洪水、増水量は9.9m。(昭和46年版「五十崎町誌」による) 続きを読む

文政9年5月の洪水

文政9年(1826)5月21日、肱川で洪水、増水量33.1尺。流死30人、流家46軒。(「加藤家年譜」による) 続きを読む

文政9年の洪水

文政9年(1826)5月21日、肱川の大洪水により、大洲の水位は観測史上最大の3丈3尺1寸(10.03m)を記録した。この時の様子を、豫州大洲洪水噺は「翌二十一日ことさら大雨になりて、あたかも車軸を流すごとし、夕暮れより河水にわかに増加し堤二ヶ所まで崩れ、水あ... 続きを読む

文政9年5月の洪水

文政9年(1826)5月21日、出水3丈3尺1寸余。溺死30人、流失家屋30軒。(大洲領の災害) 続きを読む

文政9年の風雨

文政9年(1826)5月20日~21日及び6月6日の大風雨により、潰家157軒、餓死23人、破船54艘、田畑砂入2,614石余。(「今治拾遺」による) 続きを読む

文政9年5月の台風

文政9年(1826)5月20日~21日、暴風雨、洪水。(「伊予風水害小史」による) 続きを読む

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