6455件のアーカイブスが見つかりました。
条件:愛媛県 風水害
大正9年(1920)8月9日、沖縄方面に発生した低気圧と朝鮮海峡に発生した低気圧が二つ玉となり東進し、雷雨性豪雨に見舞われた。総降水量は南予及び山岳部で200ミリを越し、被害があった。 続きを読む
大正9年(1920)8月、豪雨による大洪水のため僧都川が氾濫し、観栄橋を含むほとんどの橋が流された。城辺でぎおん祭りの斗牛がひらかれていたが、集まっていた人たちが帰るのに、橋が流されて困ったということから、いかに急な洪水であったかが分かる。郡内各地で大きな被害... 続きを読む
大正9年(1920)7月29日、一本松村で大洪水となり、田畑の流失68町歩、死者1人の被害が出た。一本松村では、大正2年(1913)の洪水で被害を受けた田畑を5年間かけて復旧していたが、今回の水害で再び大被害を受けた。 続きを読む
大正9年(1920)7月29日、大洪水により、田畑の流失68町歩、死者1人。 当時小学校3年生の洪水体験記が「加州幸吉手記」に残されている。大正2年の洪水で川原となった田を5年間かけて復旧したのに、また洪水により濁流が稲田に流れ込み、一家が破産した様子、貧乏暮... 続きを読む
大正9年(1920)7月2日、集中豪雨のため、蓮乗寺川は氾濫し、僧都川は至る所で堤防が決壊し、田畑を押し流し、人家を襲った。また、海岸地帯では各所でがけ崩れが起こり、特に大浜では山津波となった。この山津波のため、死者3人を出した。 続きを読む
大正9年(1920)6月30日夜、集中豪雨となり、午後10時頃に本谷の中腹あたりで山津波が起こり、武者泊は土砂に埋まってしまった。暗闇の中で逃げ惑う人々の中には泥水に押し流される者もあり、大騒動となった。翌日午前3時頃に山津波はおさまり、夜明け頃には集中豪雨も... 続きを読む