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条件:徳島県 風水害

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慶応2年の寅の水

慶応2年(1866)7月1日、大風雨により、吉野川は大氾濫し、辻の町分は泥海化した。溺死者はなかったが、家財の流出は莫大であった。後世に「寅の年」の水と言われている。 続きを読む

慶応2年の洪水

慶応2年(1866)7月1日、前代未聞の大水、中須賀残らず入る。(「堺屋記録」による) 続きを読む

慶応2年の洪水

慶応2年(1866)7月朔日から大雨が降り始め、4日~5日は篠突くばかりの大降りで、6日~7日は前代未聞の大水となった。貞光では、別所谷、八渓葉谷の激流が樹木を倒し、南町橋、正福寺橋、八幡橋、渡瀬橋は落下、流失した。貞光川沿岸の田畑では川底砂地となった所もあっ... 続きを読む

慶応2年の寅の水

慶応2年(1866)7月1日からの大風雨で、6日、7日は前代未聞の洪水となり、七夕水と名付けられた。那賀川の洪水は大きく、桑野川の堤防が富岡の下で切れ、見能方から打樋に流れ、此所で堤防が決壊し、流失家屋の被害が出た。農作物の被害も甚大だったようであるが、洪水が... 続きを読む

慶応2年の寅の大水

慶応2年(1866)8月7日~8日、15日、寅の大水と言われる水害が発生した。「大津村誌」によると、南山より北山へ一円土地より各村1丈以上で、鳴門の木津金刀比羅神社より徳島勢見山金刀比羅神社まで海の如しであった。また、「名東郡史」には、水害の被害が郷中損耗地高... 続きを読む

慶応2年の寅の水

慶応2年(1866)7月1日朝から降り出して、3日目には大雨となり、川々は増水を始め、7日夕には古来稀なる大水となった。西貞方では堤防が崩壊して、1丈有余の水嵩となり、倒家多く、圧死が10人に達した。東貞方では圧死・溺死7人、中原では別宮八幡前の堤防の上を越す... 続きを読む

慶応2年の寅の水

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慶応2年(1866)8月7日、「寅の水」と言われる洪水。徳島市国府町の蔵珠院の板戸には洪水痕跡が残されている。同寺の過去帳によると、痕跡は座上2尺で、檀家32人が溺死したという。山門前には洪水痕跡碑が建立されている。 続きを読む

慶応2年の洪水

慶応2年(1866)8月、台風のため、那賀川及び桑野川では堤防決壊等により甚大な浸水被害が発生した。 続きを読む

慶応2年の寅の水

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慶応2年(1866)7月末から8月初めにかけての吉野川の大洪水は、「寅の水」と言われ、讃岐山脈の裾野から四国山地の裾野まで見渡す限りの水面であったという。徳島市国府町の蔵珠院に水害の記録と痕跡が残されている。同寺の過去帳には、国中で37,020人の男女や牛馬な... 続きを読む

慶応2年の洪水

慶応2年(1866)7月、昼間土居では7、8尺の所にある梨の木に船をつなぐという前段未聞の大水となった。寅の水と言われる。(「三好町誌」による) 続きを読む

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