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条件:徳島県 風水害
明治18年(1885)9月6日、中林村(現阿南市)の沖合に旋風(竜巻)が起こり、漁船3艘を巻き上げて10間余の高所の松原に落とし、その後才見、日開野、西路見、芥原、中島浦の諸村(全て現阿南市)を通り、那賀川の高瀬船を2間余の所に巻き上げた。その途中、民家を破壊... 続きを読む
明治18年(1885)9月6日午前10時頃、那賀郡中林村沖合に旋風が起こり、漁船3艘を巻き上げて10間余の高処の松原に落とし、才見、日開野、西路見、芥原、中島諸村を通り、那賀川の高瀬船を2間余の所に巻き上げた。その途中、民家を破壊すること10数戸、大樹を倒した... 続きを読む
明治18年(1885)9月6日午前10時頃、那賀郡中林村沖合に旋風が起こり、漁船3艘を巻き上げて10間余の高処の松原に落とし、才見、日開野、西路見、芥原、中島諸村を通り、那賀川の高瀬船を2間余の所に巻き上げた。その途中、民家を破壊すること10数戸、大樹を倒した... 続きを読む
明治18年(1885)6月29日から降り出した雨は豪雨となり、30日には吉野川が氾濫、脇町の新馬場から西の助松あたりまでの民家3戸が軒下まで浸水、家族は南町の高良神社境内へ避難した。この吉野川の増水で、猪尻渡しの船頭小屋が流失、落久保・中樽井では民家4戸が流出... 続きを読む
明治18年(1885)7月1日、中心気圧980hp以下の台風が紀州南端に接近し、2日6時佐渡付近に達した。脇町付近は数日前から雨が続いた。曽江谷川の洪水は激しく、茶園岳が崩壊して1人が死亡した。崩土によって一時的に川が堰き止められ、あふれた水は茶園地域に流れ込... 続きを読む
明治18年(1885)7月1日、台風により、吉野川は大洪水。脇町の曽江谷川の茶園嶽で大崩壊(土量約50万立米)が発生した。これを契機に、曽江谷川では内務省の直轄砂防工事が着手され、明治21年にはデ・レーケの指導により砂防堰堤が築造された。 続きを読む