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条件:徳島県 風水害
大正元年(1912)9月21日~22日、豪雨、大水により、中津、吹で人家流失10軒、崩壊のため下影、野住、西ノ浦、馬越で半壊家屋9軒、道路大破損、12の橋梁流失の被害が出た。 続きを読む
大正元年(1912)9月21日の洪水は、明治35年(1902)の洪水よりも約1尺ないし1尺4、5寸水嵩が高かった。大正元年の大水に関する15人の村人の記録が記されている。水害時の様子や水が引くまでの人々の暮らしなどが描かれている。 続きを読む
大正元年(1912)9月21日、夜来の豪雨により、勝浦川は大洪水となり、人家の浸水、農作物の被害は甚大であった。(徳島日日新報による)この時の小松島の被害記録は不明であるが、古老の話によると、小松島一帯は湖海となり、金磯に土砂が流れて溜まり、泥水を流すため、排... 続きを読む
大正元年(1912)9月21日、台風が室戸岬に上陸後、北東進して阪神地方に上陸した。この年は台風の当たり年で、8月24日、10月2日も台風があり、その都度かなりの被害を出した。この年、土成村では田45町4反5畝、畑6町5畝、宅地3反1畝の農作物に被害を受けた。 続きを読む
大正元年(1912)9月21日~22日に徳島県南岸から阪神に上陸した台風により、徳島では21日昼から翌日早朝までに600ミリを超える雨量のところもあり、沿岸部では高潮の被害があった。県内の死者81人、床下・床上浸水43,067棟、板野郡では27人が亡くなった。... 続きを読む
大正元年(1912)9月22日朝、台風に伴う雨により、大谷川上流の北庄用水取水口付近で山崩れが起こり、大谷川がせき止められたが、午後8時頃に土砂が一斉に流れ出した。大谷川では右岸堤防が約540m、左岸堤防は南へ約180mが決壊し、住宅43戸が流失、2戸が半壊し... 続きを読む