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1669件のアーカイブスが見つかりました。

条件: 火災

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明治40年6月の火災

明治40年(1907)6月3日夜、西下町西部の南側から出火し、東は山際から袋町に通ずる横丁まで、西は築地坂までの両側20余戸を全焼した。(「百笑宮崎」による) 続きを読む

明治40年の山火事

明治40年(1907)、生比奈村の薪炭材山林25反歩が焼失した。損害600円。(長田八百三氏日記、役場記録等による) 続きを読む

明治39年の火災

明治39年(1906)5月27日、原の火災により、6戸焼失。(「大西夘平日誌」による) 続きを読む

明治38年の火災

明治38年(1905)10月2日午前3時30分頃、徳島市大字通町3丁目より出火、西風により付近一帯に延焼し、住家、非住家合計97戸を焼失し、午前7時30分頃鎮火した。(「徳島警察署沿革誌」による) 続きを読む

明治38年の火災

明治38年(1905)10月2日、徳島市通町3丁目で火災、97戸焼失。(「警察沿革史」による) 続きを読む

明治38年の大火

明治38年(1905)2月17日、興津村で大火。全焼26戸ほか。 続きを読む

明治37年の火災

明治37年(1904)12月、中庄の山路から出火し、焼失家屋6棟、原因は子どもの火遊び。 続きを読む

明治37年の火災

明治37年(1904)9月10日午前1時過ぎ、徳島市富田浦町(仲の町)の劇場から出火、劇場と付近の住宅7戸を焼失した。(「徳島警察署沿革誌」による) 続きを読む

明治35年の火災

明治35年(1902)11月13日、東股の東の谷から出火し、120軒が焼失した。この火災では、数十羽の白い鳥が飛んできて、火の粉をくわえては風上の方に飛んで落としたため、火災がますます大きくなったことなどが記されている。 続きを読む

明治35年の火災

明治35年(1902)1月16日、小仁宇で大火災があり、14戸が全焼した。昼間の火事だったので、人畜に被害はなかったが、損害は甚大であった。しかし、各方面からの温かい援助と罹災者の復興意欲により、2、3年で全戸瓦葺の居宅が建築された。 続きを読む

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