検索結果

1669件のアーカイブスが見つかりました。

条件: 火災

年代順で並び替える : |

大正9年の火災

大正9年(1920)、岩脇町筋から出火、町筋北側から堤防に向けて延焼。30数軒焼失の大火となり、岩脇町筋の姿が一変したという。 続きを読む

大正9年の火災

大正9年(1920)、岩脇町筋から出火、町筋北側から堤防に向けて延焼。30数軒焼失の大火となり、岩脇町筋の姿が一変したという。 続きを読む

大正9年の火災

大正9年(1920)、椿泊で山火事。 続きを読む

大正8年の大火

大正8年(1919)8月15日午前11時半頃、出火、100戸中35戸全焼。 続きを読む

大正8年の大火

大正8年(1919)5月3日午前8時頃、下田町から出火し、西の強風のため下田小学校が全焼し、さらに飛び火して130余戸を焼き尽くして、正午頃鎮火した。 続きを読む

大正8年の火災

大正8年(1919)、椿で山火事2件。 続きを読む

大正8年の火災

大正8年(1919)、椿泊で山火事。 続きを読む

大正7年の火災

大正7年(1918)5月20日17時過ぎ、南京町より出火、東西約3丁、南北2丁を焼き、19時50分鎮火した。80戸焼失。(「中村町史」による) 続きを読む

大正7年の火災

大正7年(1918)5月20日午後5時過ぎ、南京町(現在の一條通)から出火し、西風に火勢ものすごく、その上防火用水の不自由により火勢を大きく素ばかりで、みるみる10数戸に延焼。30分後には防水用水が全く絶え、その上電柱の倒壊で北側に延焼し、また新町の藁屋に飛び... 続きを読む

大正7年の大火

大正7年(1918)5月20日午後5時過ぎ、南京町から出火し、西風のため近隣の10数戸に延焼した。さらに新町にも飛び火して一面の火の海となった。東西約3町、南北約2町を灰燼に帰して午後8時鎮火した。焼失家屋約80戸、世帯数は150戸にも達した。 続きを読む

1 62 63 64 65 66 67 68 69 70 71 72 167