1669件のアーカイブスが見つかりました。
条件: 火災
安政元年(1854)11月4日、5日、大地震があり、被害は死者372人、傷者180人、焼失家屋2,500軒、流失家屋3,200余軒、潰家3,000余軒、半潰家9,000余軒等に及んだ。 続きを読む
安政元年(1854)11月4日朝辰の下刻(午前9時頃)、大地震あり。5日午前3時頃、大地震となり、その後も大震が続いた。加えて沿岸地方では大津波の襲来となった。牟岐町では津波の高さが3丈余となり、西牟岐浦175戸が全戸流失するなどした。宍喰浦では350戸のうち... 続きを読む
安政元年(1854)11月4日朝辰の刻に強震があり、津波が起こり、第二震があった。第二震の時の津波が高く、立田近くまで押し寄せてきたという。5日夕方申刻にまた大震があり、微震が続出して絶えなかった。この時の土佐国全体の被害は死者372人、負傷者180人、焼失家... 続きを読む
安政元年(1854)11月4日、5日にわたり大地震が起こり、それに伴う大津波が襲った。土佐藩から幕府への報告によると、被害は潰家2,935軒、半壊8,888軒、焼失2,460軒、流失3,182軒、死者372人、田地高21,530石等であった。このうち、須崎地域... 続きを読む
安政元年(1854)11月4日、地震が始まった。11月5日には徳島で約1,000戸が焼失して、約200人が死に、小松島でも大火があり、海部地方に津波害のあったことが三好町足代の教法寺過去帳に残されている。また、板野郡誌は岡崎(鳴門)で3割の家が潰れ、2割が焼失... 続きを読む
安政元年(1854)11月4日朝5ツ時(8時)、地震があり、鈴波が来た。鈴波は津波のさきがけで、油断してはならないと言い伝えられている。翌5日夕方7ツ半時(5時)、未曾有の大地震が起こり、間もなく沖より山のような波が入り、宇佐福島は一面の海となった。残った... 続きを読む
安政元年(1854)11月4日、5日にわたり大地震が起こり、それに伴う大津波が襲った。土佐藩から幕府への報告によると、被害は潰家2,935軒、半壊8,888軒、焼失2,460軒、流失3,182軒、死者372人、田地高21,530石等であった。このうち、須崎地域... 続きを読む