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条件: 火災

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享和2年の火災

享和2年(1802)、海部郡牟岐浦が火事でほとんど焼失したようである。詳細は分かっていない。 続きを読む

享和2年の火災

享和2年(1802)12月30日朝四ツ時(10時)、細工町から出火し、西風烈しく山田町、廿代田、蓮池町、紺屋町、新堀、菜園場、農人町、新町、鉄砲町を通して一戸残らず焼失した。さらに火は下知村の農家全部を焼失し、夜六ツ時(6時)鎮火した。焼失戸数は1,100軒と... 続きを読む

享和2年の火災

享和2年(1802)12月29日朝四ツ時(10時)細工町より出火、西風強く山田町、廿代町、蓮池町、紺屋町、新堀、菜園場、農人町、森町、鉄砲町を通じて一戸を残さず、下知村の農家に及び焦土と化し夜六ツ時(18時)鎮火した。1,100軒余焼失。(「高知市史」による) 続きを読む

享和3年の大火

享和3年(1803)2月2日、甲浦東町で大火事、111軒焼失。 続きを読む

享和3年の火災

享和3年(1803)2月2日5ツ半頃、甲浦の東股で火災が発生し、7ツ頃に鎮火した。この火災で111軒が焼失した。 続きを読む

享和3年の大火

享和3年(1803)8月9日夜丑刻、壬生川村で大火があり、109軒が焼失したため、幕府に届けたという記録がある。 続きを読む

享和3年の大火

享和3年(1803)8月9日午前2時、壬生川村で大火があった。火災の発生地区は現在の高橋町、仲之町で、総戸数の三分の一の109軒を焼失し、約600人が路頭に迷った。この時消火用として大きな役割を果たした井戸(豪農高橋与五衛門の井戸)が、現在も防火用井戸として大... 続きを読む

文化元年2月の火災

文化元年(1804)2月27日、中村出火、類焼22軒。 続きを読む

文化元年の火災

文化元年(1804)2月27日、中村出火、類焼22軒。(大洲領の災害) 続きを読む

文化元年2月の火災

文化元年(1804)2月27日、中村出火、類焼22軒。 続きを読む

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