1669件のアーカイブスが見つかりました。
条件: 火災
昭和9年(1934)8月28日午後1時、町の中心商店街から出火し、真夏の渇水期で水の便も悪く、大火となった。近隣町村の消防団の応援を求め、午後10時に鎮火した。この火災により、焼失家屋14戸、半焼3戸、罹災者68人を出した。 続きを読む
昭和10年(1935)3月14日午後1時30分、父野川地区中藤川の山林から出火し、北西の強風にあおられ、20分間に21戸の草葺の住家と17戸の非住家を全焼させた。さらに火勢は猛威を極め、付近一帯の山林を焼き尽くし、高知県境にまで延焼して、1,000町歩の山林を... 続きを読む
昭和10年(1935)3月14日午後1時30分、父野川地区中藤川の山林から出火し、北西の強風にあおられ、20分間に21戸の草葺の住家と17戸の非住家を全焼させた。さらに火勢は猛威を極め、付近一帯の山林を焼き尽くし、高知県境にまで延焼して、1,000町歩の山林を... 続きを読む
昭和10年(1935)3月15日午後7時頃、下灘村大字串字ヌタノモトの山林より出火した。郡内及び喜多郡からも消防団員が出動したが、強風のため付近の山林に延焼し、309町3反余が焼失して、16日午前7時に沈下した。損害11万2千円程度。 続きを読む
昭和10年(1935)6月27日午前0時30分、下鍵山地区十字路より出火、町の大半を焼失して、午前3時30分に鎮火した。焼失家屋は住家54戸、非住家13戸、罹災者179人で、被害総額は20万円と県に報告されている。 続きを読む
昭和10年(1935)6月27日午前0時30分、下鍵山地区十字路より出火、町の大半を焼失して、午前3時30分に鎮火した。焼失家屋は住家54戸、非住家13戸、罹災者179人で、被害総額は20万円と県に報告されている。 続きを読む