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1669件のアーカイブスが見つかりました。

条件: 火災

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大正11年の大火

大正11年(1922)5月23日午後0時15分、汽車の煤煙によって宮野下から出火し、またたく間に四辺に拡がり、午後1時40分に鎮火するまで裏通りの民家を焼失させた。この時には三間村、成妙村、二名村の全消防組、好藤、旭、泉からも駆けつけ、この地方では最初であった... 続きを読む

大正11年の火災

大正11年(1922)12月10日11時、新町より出火、74戸焼失。町制祝賀会の日であった。(「宇佐町史」による) 続きを読む

大正12年の山崎の大火

大正12年(1923)3月、山崎神社付近の農家7戸が延焼した。汽車の火の粉が原因であった。この時、焼けていない家を壊して類焼を防ぐ「破壊消防」が行われた。 続きを読む

大正12年の山崎の大火

大正12年(1923)3月、山崎神社付近の農家7戸が延焼した。汽車の火の粉が原因であった。この時、焼けていない家を壊して類焼を防ぐ「破壊消防」が行われた。 続きを読む

大正13年の山火事

大正13年(1924)2月21日、沼江字広野の山林2反歩が焼失した。ただし、開墾のため松木などは搬出済みで、損害はなかった。(長田八百三氏日記、役場記録等による) 続きを読む

大正13年の大火

大正13年(1924)3月、阿部の東谷で大火が発生した。当時15歳であった当事者は、校長先生の指示で、10km離れた三岐田役場に消火の応援依頼のために走った。火事の原因は、ある家で法事の揚げ物をつくっていての失火であったという。(濱行長利氏談) 続きを読む

大正14年の火災

大正14年(1925)、椿で山火事。 続きを読む

大正14年2月の火災

大正14年(1925)2月25日、東馬場の火災により、7人が住家・家財を焼失し、罹災救助金を受けた。 続きを読む

大正14年3月の火災

大正14年(1925)3月17日、東馬場の火災により、5人が住家・家財を焼失し、罹災救助金を受けた。 続きを読む

大正14年の山火事

大正14年(1925)4月1日、星ヶ城付近より出火、山林60haを焼失。 続きを読む

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