1669件のアーカイブスが見つかりました。
条件: 火災
大正7年(1918)1月12日午前2時、馬場から出火し、近隣に類焼して7戸が全焼し、午前7時に鎮火した。原因は提灯の火であったと言われている。地元はもちろん隣村・福井・椿・桑野の消防車も消防活動に加わった。火災罹災救助金が交付された。 続きを読む
大正7年(1918)1月16日正午、沼江字高尾で出火し、17日午前1時に鎮火した。15町歩焼失し、損害は70万円となった。(長田八百三氏日記、役場記録等による) 続きを読む
大正7年(1918)1月16日昼頃、出火し、寄井東部、本野間、筏津などで全焼67戸、罹災者251人を出した。「神領村大火災誌」によると、寄井町で養蚕室の建築を請け負った大工が食事をするため茶を沸かしたところ、この残り火が北西の強風によって燃え広がったものであっ... 続きを読む
大正7年(1918)1月24日午前10時頃、東尾村の西方の山林で山作業していた人が湯を沸かしている間に失火したらしく、火は干天続きで乾ききった草原に燃えうつり、さらに風にあおられて村全体に燃え広がった。遠く離れた3戸を残して、全村18戸のうち15戸を焼き尽くし... 続きを読む
大正7年(1918)3月中旬、「細野焼け」と言われる大きな山火事があった。阿南市細野の山から出火し、強風にあおられ火は峰から峰へ飛び、鷲敷との境貝塚の上まで焼き尽くした。 続きを読む
大正7年(1918)3月24日午前11時、沼江字大原の共有山林から出火し、銚子ノ口へ類焼し、午後5時に鎮火した。30町歩を焼失し、損害は1,000万円となった。(長田八百三氏日記、役場記録等による) 続きを読む
大正7年(1918)5月20日午後5時過ぎ、南京町(現在の一條通)から出火し、西風に火勢ものすごく、その上防火用水の不自由により火勢を大きく素ばかりで、みるみる10数戸に延焼。30分後には防水用水が全く絶え、その上電柱の倒壊で北側に延焼し、また新町の藁屋に飛び... 続きを読む