検索結果

4104件のアーカイブスが見つかりました。

条件: 渇水

年代順で並び替える : |

昭和9年の干ばつ

image

昭和9年(1934)の干ばつには、菖蒲堰で「大落水」という慣行が行われた。これは、下堰側の5地区で用水が不足して、番水制度を実施しても満たされない時に、上堰の地区に請求して、その分水の一部を受益するというものであった。(「重信町誌」による) 続きを読む

昭和9年の干ばつ

昭和9年(1934)、大干ばつ。7月27日~8月30日の雨量が今治で1ミリ、松山で2ミリ、稲作大被害。 続きを読む

昭和9年の干ばつ

昭和9年(1934)、大干害。 続きを読む

昭和9年の干ばつ

image

昭和9年(1934)の干ばつには、菖蒲堰で「大落水」という慣行が行われた。これは、下堰側の5地区で用水が不足して、番水制度を実施しても満たされない時に、上堰の地区に請求して、その分水の一部を受益するというものであった。(「重信町誌」による) 続きを読む

昭和9年の干ばつ

昭和9年(1934)春期以来、干ばつにより、東宇和郡上宇和村久枝と永長で水論。(「灌漑水利権-ふけ川水論」による)(伊予の水論〔水争い〕年表) 続きを読む

昭和9年の干ばつ

昭和9年(1934)、干ばつのため、市町村一斉に雨乞い祈願。 続きを読む

昭和9年の干ばつ

昭和9年(1934)、大干ばつ。8月26日現在の県下の被害田は20,177町、枯死田は1,081町と報ぜられている。干ばつの応急対策の一つとして、8月29日午後1時から善通寺山砲隊が摺臼山から大麻山射撃場に向け、山砲5門で300発の実弾射撃を実施した。また、8... 続きを読む

昭和9年の干ばつ

昭和9年(1934)、干ばつ。徳島県下の干害地は7,940町歩であり、三好郡の干害地は1,010町4反であった。 続きを読む

昭和9年の干ばつ

昭和9年(1934)、大干ばつのため、小野村では神社、寺院で雨乞い祈願を行ったり、皿ヶ嶺(1,271m)のお水貰い、河之内(川内町)の雨瀧参りなどを行ったが、雨は容易に得られなかった。このため、土瓶水が用いられた。 続きを読む

昭和9年の干ばつ

昭和9年(1934)夏、大干ばつ。(「高松市史年表」による) 続きを読む

1 81 82 83 84 85 86 87 88 89 90 91 411