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条件: 渇水
寛文3年(1663)、干ばつのため、物成三分の一不納なり。(「松山叢談」による)7月、大干ばつのため、不作。(「新居郡誌」による) (註)九州及び江戸の史料(日本気象史料)では、この年4月~7月にわたる干ばつを掲げている。相当広範囲の干ばつだったのであろうか。... 続きを読む
寛文2年(1662)、大干ばつに見舞われた。田はひび割れ、稲は枯死して収穫はゼロであった。ところが、築造から7年間の平屋池を持つ井ノ口新田は、平年作を上回る豊作であった。このため、比地大村の百姓は、京極藩に新池築造を願い出て、藩は郡奉行勝田五郎兵衛に新池築造を... 続きを読む
承応3年(1654)夏は大旱、秋は大洪水のため五穀実らず、餓民が多く出た。高松藩では米穀を施して救った。農耕の牛馬が多く餓死したので、藩から金を借りて牛馬を買ったものもある。(「讃岐国大日記」、「高松藩記」などによる) 続きを読む