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条件: 渇水

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宝永3年の干ばつ

宝永3年(1706)夏、大干、雨を祈る。(「讃州府志」による) 続きを読む

宝永元年の水論

宝永元年(1704)、宇和郡大江村と真土村で水論。(「伊豫史談」282号による)(伊予の水論〔水争い〕年表) 続きを読む

元禄17年の水論

元禄17年(1704)、宇和川の名本井手をめぐり、大江村と真土村で水論が起こった。大江村は名本井手に水門をつけて井手水を取水できるようにすることを要求し、真土村はそれに難色を示したが、結局認めることで両村間の話がまとまった。 続きを読む

元禄16年の水論

元禄16年(1703)、伊予郡上・下麻生村と下5ヶ村で水論。(「砥部町誌」、「伊豫市誌」による)(伊予の水論〔水争い〕年表) 続きを読む

元禄16年の干ばつ

元禄16年(1703)夏、旱天のため、重信川左岸で上麻生村(大洲領)・下麻生村(新谷領)の両村と下流に位置する徳丸村・出作村・南神崎村・上野村(松山領)及び八倉村(大洲領)の五ヶ村の間に水争いが起きた。7月21日夜、下五ヶ村の農民が、重信川の流水を両麻生村に引... 続きを読む

元禄16年の水論

元禄16年(1703)、大干ばつに際し、水の少ない神崎・上野・徳丸・出作・八倉の下5ヶ村では稲の生育が危ぶまれた。このため、5ヶ村の農民は7月21日夜に古樋井手の樋を切り割って、一ノ井手に水を落とした。これに対して麻生村の農民が抗議して、水論が7日間に及んだが... 続きを読む

元禄14年の干ばつ

元禄14年(1701)7月、干ばつ。(「讃州府志」による) 続きを読む

元禄14年の干ばつ

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元禄14年(1701)7月、大干ばつ。この干ばつも契機となり、久保太郎右衛門は上流の綾川から皿池などを経て大羽茂池に至る掛井手掘削を藩庁に再三請願した。 続きを読む

元禄14年の干ばつ

元禄14年(1701)7月、干ばつ。蝗。(「讃州府志」による)(香川県の旱魃年表) 続きを読む

元禄14年の干ばつ

元禄14年(1701)5月から8月まで、干ばつ。いなごの害が甚だし。(「高松藩記」、「庄屋記録」、「讃岐国大日記」による) 続きを読む

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