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条件: 渇水

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宝暦12年の水論

宝暦12年(1762)夏、麻生・八倉・宮下村ら浮穴24村と水論。 続きを読む

宝暦12年の干ばつ

宝暦12年(1762)夏、大旱。6月、松平頼恭が高松藩に帰ると、農民の困苦を察し、大護寺の住僧栄寿に命じて雨乞いを行うとともに、宰臣肥田政朝を遣わして藩侯自筆の願文を納めた。6月26日に洪雨あり。 続きを読む

宝暦12年の干ばつ

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宝暦12年(1762)春から雨が十分ではなく、5月に入っても降らず、今治藩内の北方では池の水がないため蒼社川の水を落として漸く田植えを行った。このため別宮大山衹神社で雨乞いをすることになり、酒と弁当を支給して350人ほどで2夜3日の雨乞い踊りを行った。 続きを読む

宝暦12年の水論

宝暦12年(1762)、松山領森松村ほか24ヶ村(2千余人)と麻生村ほか2村(800人)との水論から乱闘となる。(「砥部町誌」等による)(伊予の水論〔水争い〕年表) 続きを読む

宝暦12年の水論

宝暦12年(1762)夏、麻生・八倉・宮下村ら浮穴24村と水論。 続きを読む

宝暦12年の干ばつ

宝暦12年(1762)夏、干ばつ。(「讃岐の池と水」による) 続きを読む

宝暦12年の干ばつ

宝暦12年(1762)夏、干ばつのため、麻生・八倉・宮下村ら浮穴24村と水論。(大洲領の災害) 続きを読む

宝暦11年の水論

宝暦11年(1761)夏、干ばつのため、宮下、上野、八倉、徳丸、出作と麻生が水論。 続きを読む

宝暦11年の水論

宝暦11年(1761)、宮ノ下村以下5村、麻生村と水論。(「砥部町誌」、「大洲旧記」等による)(伊予の水論〔水争い〕年表) 続きを読む

宝暦11年の水論

宝暦11年(1761)夏、干ばつのため、宮下、上野、八倉、徳丸、出作と麻生が水論。 続きを読む

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