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宝暦12年の干ばつ

宝暦12年(1762)5月~6月、干ばつ。 続きを読む

宝暦12年の干ばつ

宝暦12年(1762)5月~6月、大干ばつ。(「香川県政史年表」、「香川用水史」、白鳥町広報・資料による) 続きを読む

宝暦12年の干ばつ

宝暦12年(1762)5月から6月にかけて日照り続く。(高松市史年表による) 続きを読む

宝暦12年の干ばつ

宝暦12年(1762)5月、6月、干害。(「庄屋記録」、「讃岐国大日記」、「高松藩記」による) 続きを読む

宝暦12年の干ばつ

宝暦12年(1762)5月、6月、大旱。藩公松平頼恭、大護寺に命じ雨を祈らしめ、自筆の願文を納む。(「香川県史」による)(香川県の旱魃年表) 続きを読む

宝暦12年の干ばつ

宝暦12年(1762)5月~6月、日照りが続き、多度津藩領内の損耗は5,543石に及んだ(巡見使調査)。藩主、倹約令を出した。(「香川県気象災害史」、「香川県気象史料」、「香川県防災気象要覧」等による) 続きを読む

宝暦12年の干ばつ

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宝暦12年(1762)春から雨が十分ではなく、5月に入っても降らず、今治藩内の北方では池の水がないため蒼社川の水を落として漸く田植えを行った。このため別宮大山衹神社で雨乞いをすることになり、酒と弁当を支給して350人ほどで2夜3日の雨乞い踊りを行った。 続きを読む

宝暦12年の干ばつ

宝暦12年(1762)夏、大旱。6月、松平頼恭が高松藩に帰ると、農民の困苦を察し、大護寺の住僧栄寿に命じて雨乞いを行うとともに、宰臣肥田政朝を遣わして藩侯自筆の願文を納めた。6月26日に洪雨あり。 続きを読む

宝暦12年の水論

宝暦12年(1762)、松山領森松村ほか24ヶ村(2千余人)と麻生村ほか2村(800人)との水論から乱闘となる。(「砥部町誌」等による)(伊予の水論〔水争い〕年表) 続きを読む

宝暦12年の水論

宝暦12年(1762)夏、麻生・八倉・宮下村ら浮穴24村と水論。 続きを読む

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