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条件: 渇水

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明和7年の干ばつ

明和7年(1770)、伊予地各地で干ばつの被害があった。 続きを読む

明和7年の干ばつ

明和7年(1770)、前年より163日間雨なし。貢祖3万石減、難民救済。(「讃岐国大日記」、「高松藩記」による) 続きを読む

明和7年の干ばつ

明和7年(1770)夏、大干ばつで雨乞い祈祷。飢饉。(神恵院蔵の「弘化録」及び「讃岐大日記」による) 続きを読む

明和7年の干ばつ

明和7年(1770)夏、干ばつにより、損毛田8,220石余、畑3,709石余。(「藤蔓延年譜」による)干ばつ百日に及び被害多し。矢野保内の百姓かまぎを追い、袖乞いに出るもの多し。(「宇藩御仕置」による) 続きを読む

明和7年の干ばつ

明和7年(1770)、干害のため、高松藩内で55,000石余の立枯田が出たと記録されている。この水不足のため、7月1日に寺井村の百姓50余人は大野の案内出水を急襲し、出水の堰を切り落とそうとした。大野の百姓も防戦に努めたが、大野の百姓2人が殴り倒され、負傷した... 続きを読む

明和7年の干ばつ

明和7年(1770)5月頃まで雨降らず、5月にわずかに降雨があったものの、6月から7月にかけて再び雨がなく、大干ばつになった。 続きを読む

明和7年の干ばつ

明和7年(1770)、干害。 続きを読む

明和7年の干ばつ

明和7年(1770)、大干ばつ、作り方皆無。御領中飢人おびただしく路頭に迷い、卯の春にかけ諸方御祈祷施行あり、おそろしきこと。(三浦の田中家史料「御書出魁書此外珍事為覚語代々記」による) 続きを読む

明和7年の干ばつ

明和7年(1770)、干ばつのため、米の収穫は例年の半作となった。松山藩、雨乞い大踊りを行った。 続きを読む

明和7年の干ばつ

明和7年(1770)、干ばつにより、吉田藩の損毛は田8,222石、畑3,709石、合計11,931石に及んだ。(「藤蔓延年譜」による) 続きを読む

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