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4104件のアーカイブスが見つかりました。

条件: 渇水

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天明8年の干ばつ

天明8年(1788)、大干ばつ。(高松藩の災害記録) 続きを読む

天明8年の水論

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天明8年(1788)、菖蒲堰の分水をめぐり、北方村と樋口外4ヶ村で水論が起こった。(東温市の水利年表) 続きを読む

天明8年の干ばつ

天明8年(1788)夏、干ばつ。(「香川県気象災害史」、「香川県気象史料」、「香川県防災気象要覧」等による) 続きを読む

天明8年の干ばつ

天明8年(1788)、大干。(「讃岐国大日記」、「高松藩記」、「全讃史」による) 続きを読む

天明8年の干ばつ

天明8年(1788)夏、干ばつ。(「香川県史」による) 続きを読む

天明7年の水論

天明7年(1787)、日瀬里(窪田)村の農民が新井手をつくって、内川の梅斉院堰から来住への流水を新田に引いたことから、梅斉院堰掛かりの来住・南久米・北久米三ケ損の農民が実力行使に出て紛糾した。藩の調停を不服とした三ヶ村の農民は大洲藩主に直訴すると称して、大洲領... 続きを読む

天明7年の干ばつ

天明7年(1787)、大干。(「讃岐国大日記」による) 続きを読む

天明7年の干ばつ

天明7年(1787)、大旱。 続きを読む

天明7年の干ばつ

天明7年(1787)、讃岐でひでり。 続きを読む

天明7年の水論

天明7年(1787)から翌8年にかけて、日瀬里村の権名津の新井手をめぐって、日瀬里村と南北久米・来住の各村間で水論があった。南北久米・来住の各村が権名津の新井手に反対したが、藩が天明7年7月に実情調査し、日瀬里村に有利な判定をしたため、南北久米・来住の3ヶ村の... 続きを読む

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