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条件: 渇水

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寛政2年の干ばつ

寛政2年(1790)、旱天が続き、領内の稲作は減収し、公租も納まらなかった。藩では困窮した百姓のため、米5,500石を貸し出し、このうち3,000石は年賦で毎年返却するものの、残り2,500石は当分返納しなくてもよいという救済策を講じた。 続きを読む

寛政2年の干ばつ

寛政2年(1790)夏、大干ばつ。高屋村が三ヶ庄用水路の分け股をせいて林田村の本村5町歩への流れを遮断したため、林田村と水争いとなった。この争いはその後数年間続いた。 続きを読む

寛政2年の干ばつ

寛政2年(1790)、大旱。 続きを読む

寛政2年の干ばつ

寛政2年(1790)、高松藩領、大干ばつとなる。 続きを読む

寛政2年の干ばつ

寛政2年(1790)夏、干す。穀登らず、民に米5,500石を貸与。(「讃岐国大日記」、「高松藩記」、「全讃史」による) 続きを読む

寛政2年の干ばつ

寛政2年(1790)、大干害、蝗、藩に備蓄米制。 続きを読む

寛政2年の干ばつ

寛政2年(1790)夏、干ばつ、田畑不熟。(「松山叢談」による) 続きを読む

寛政2年の干ばつ

寛政2年(1790)夏、大干、穀実らず。(「讃岐災異年表」による) 続きを読む

寛政2年の干ばつ

寛政2年(1790)夏、大干ばつ。秋、いなご多発。五穀実らず凶作。(「香川県政史年表」、「香川用水史」、白鳥町広報・資料による) 続きを読む

寛政2年の干ばつ

寛政2年(1790)夏、干ばつ。12月23日、御領分、当夏の干ばつのため、田畑不熟、御損毛74,508石の御届あり。(「松山叢談(某家記)」による) 続きを読む

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