検索結果

4104件のアーカイブスが見つかりました。

条件: 渇水

年代順で並び替える : |

文化元年の干ばつ

文化元年(1804)は雨が少なく、太田村では平池から水が流れてこないので困った。6月29日夜中の12時頃に、太田村の農民は平池尻に押し寄せて、池守の制止を振り切って、揺裾にあった亀甲石を破壊して、セリ板を切り棄て、東の百相村や法然寺領の田に水が行かないようにし... 続きを読む

享和3年の大雨・干ばつ

享和3年(1803)5月4日、大雨、洪水。6月~8月、干ばつ。損害田畑合計12,120石余。(「藤蔓延年譜」による) 続きを読む

享和3年の干ばつ

享和3年(1803)5月から9月上旬まで降雨なく、旱損。 続きを読む

享和3年の干ばつ

享和3年(1803)5月から9月上旬まで降雨なく、旱損。 続きを読む

享和3年の干ばつ

享和3年(1803)5月から9月上旬まで降雨なく、旱損。(大洲領の災害) 続きを読む

享和3年の水論

享和3年(1803)、小沢川村と波岡村の間で水論が起こったが、小沢川下井手から波岡一の井手へ5分(半分)宛分水することで一応落着した。しかし、その後も争いは続き、明治18年(1885)の大審院の判決で、ようやく決着した。 続きを読む

享和3年の水論

享和3年(1803)、吉田領小沢川村と波岡村で水論。(「三間町誌」による)(伊予の水論〔水争い〕年表) 続きを読む

享和3年の干ばつ

image

享和3年(1803)、和霊宮にて雨乞い祈祷。(三浦の田中家史料「御書出魁書此外珍事為覚語代々記」による) 続きを読む

享和2年の水論

享和2年(1802)、周布郡明穂村と大頭村が川境で水論。(「小松町誌」による)(伊予の水論〔水争い〕年表) 続きを読む

享和2年の干ばつ

享和2年(1802)夏、干ばつにより、財田中ノ村で被害が大きかった。(「讃岐国大日記」、「高松藩記」、「三豊郡史」、「香川県気象災害誌」、「財田村年表」、「香川県史」による) 続きを読む

1 233 234 235 236 237 238 239 240 241 242 243 411