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条件: 渇水

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文化14年の干ばつ

文化14年(1817)5月から7月、大旱。(「讃岐国大日記」、「高松藩記」等による) 続きを読む

文化14年の干ばつ

文化14年(1817)5月から7月まで、大干ばつ。(神恵院蔵の「弘化録」及び「讃岐大日記」による) 続きを読む

文化14年の干ばつ

文化14年(1817)5月から7月にかけて、大干ばつ。(「香川県政史年表」、「香川用水史」、白鳥町広報・資料による) 続きを読む

文化14年の干ばつ

文化14年(1817)5月から7月、干ばつ。(「庄屋記録」、「讃岐国大日記」、「高松藩記」による) 続きを読む

文化14年の干ばつ

文化14年(1817)5月から7月まで、大干。(「高松藩記」による) 続きを読む

文化14年の干ばつ

文化14年(1817)5月より7月、大干。(「讃岐国大日記」、「高松藩記」による) 続きを読む

文化14年の干ばつ

文化14年(1817)4月から8月まで日照り続く。大社から小社に至るまで雨乞い祈願。鵜足郡で一番やけたのは岡田上村で、二番は造田村。内田下所免は一帯に稲が枯れ収穫なし。秋から飢人が出て、お上に救援の願いを差し出す。 郡内の難渋民に、古米120石が貸し付けられる... 続きを読む

文化14年の干ばつ

文化14年(1817)、大干ばつにより、牛馬多く飢う。(高松藩の災害記録) 続きを読む

文化14年の干ばつ

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文化14年(1817)、大干ばつ。岡田の大庄屋・木村又左衛門が打越下池の新築を請願した。(「木村家文書」による) 続きを読む

文化14年の干ばつ

文化14年(1814)、日照りが厳しかった。このため、氷上村が屋古戸関から取り入れた用水を再び吉田川に放流する落ち口に、田中村が新しく井関を築造したため、氷上村の一の井関には水が流れなくなった。氷上村は田中村の理不尽なやり方に怒って、郡役所に訴え出た。 続きを読む

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