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4104件のアーカイブスが見つかりました。

条件: 渇水

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文政6年の干ばつ

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文政6年(1823)、大干ばつ。岡田の大庄屋・木村甚三郎は父又左衛門の遺志を受け継いで、打越下池の新築を請願した。文政10年2月に打越下池の新築の許可を得て着工し、同12年4月に竣工した。(「木村家文書」による) 続きを読む

文政6年の干ばつ・洪水

文政6年(1823)夏2ヶ月干害、秋には大洪水のため、死者43人。(町内4寺院の過去帳調査による) 続きを読む

文政6年の干ばつ・洪水

文政6年(1823)、干ばつ、洪水。(「川之江村大庄屋役用記」による) 続きを読む

文政6年の干ばつ・洪水

文政6年(1823)夏大旱、秋洪水。 続きを読む

文政6年の水論

文政6年(1823)、松山領森松の百姓と大洲領麻生村の百姓が重信川原で水論。(「松山市史料集」、「松山市史」による)(伊予の水論〔水争い〕年表) 続きを読む

文政6年の干ばつ

文政6年(1823)夏から秋にかけて、干ばつ。117,000余町の稲作枯死。収納米が47,000石余減った。10月、丸亀藩は倹約令を出した。(「香川県気象災害史」、「香川県気象史料」、「香川県防災気象要覧」等による) 続きを読む

文政6年の干ばつ

文政6年(1823)、大旱。 続きを読む

文政6年夏の干ばつ

文政6年(1823)夏、旱損秋虫刺。被害は阿波国で損耗75,855石3斗6升6合2勺1寸。(「阿淡年表秘録」による) 続きを読む

文政6年の干ばつ

文政6年(1823)、大干。(「田野村誌」等による) 続きを読む

文政6年の水論

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文政6年(1823)、両余戸村、垣生村の3ヶ村と南吉田村が水論、騒動となり、南吉田村の百姓忠七が即死した。(「余土村誌」による) 続きを読む

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