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条件: 渇水

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天保3年の干ばつ

天保3年(1832)5月下旬より雨少なく、干ばつ。(「徳島県災異誌」等による) 続きを読む

文政13年の水論

文政13年(1830)6月、日照りが続き重信川の流水が不足したため、滝ノ下井手をめぐって下林と北三か村(田窪、牛淵、南野田)の水論が発生した。6月20日夕方には、下林の百姓残らず観音堂に集結し、上村、津吉からも各々60人が加勢した。一方、北三か村も関表に多数集... 続きを読む

文政13年の水論

文政13年(1830)6月、日照りが続き重信川の流水が不足したため、滝ノ下井手をめぐって下林と北三か村(田窪、牛淵、南野田)の水論が発生した。6月20日夕方には、下林の百姓残らず観音堂に集結し、上村、津吉からも各々60人が加勢した。一方、北三か村も関表に多数集... 続きを読む

文政12年の干ばつ

文政12年(1829)6月17日から8月10日まで、53日間日照りが続き、大干ばつとなり、作物の実りが十分でなかった。しかし、水の続いたところは豊作を迎えることができた。 続きを読む

文政12年の干ばつ

文政12年(1829)6月17日から8月10日まで53日間日照りが続き、大干ばつとなり、作物の実りが十分でなかった。しかし、水の続いたところは豊作を迎えることができた。 続きを読む

文政12年の干ばつ

文政12年(1829)6月、干ばつ。(「宮崎文書」による) 続きを読む

文政11年の干ばつ

文政11年(1828)8月、雨の降らぬことが85日におよび、作物は枯死し、飲料水は枯渇し、村民は困窮した。これを文政の大干ばつという。 続きを読む

文政11年の干ばつ

文政11年(1828)、干ばつが殊に甚だしく、周布村では泉頭に立って人が水車で数十日も揚水した。(「西条誌」による) 続きを読む

文政11年の干ばつ

文政11年(1828)夏降らぬこと85日、文政の大干という。(「神領村史」、「高原村史」による) 続きを読む

文政11年の干ばつ

文政11年(1828)夏降らぬこと85日、文政の大干という。(「神領村史」、「高原村史」による) 続きを読む

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