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4104件のアーカイブスが見つかりました。

条件: 渇水

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明治10年の水争い

明治10年(1877)8月10日夜、田中村(三木町)の農民200~300人が新川支流の吉田川上流の屋古戸関に押し寄せて、鍬で井関を打ち壊した。この井関は氷上村(三木町)の奥の堂池と堀切池に取水するためのもので、氷上村では夜明けを待って数百人が切り落とされた井関... 続きを読む

明治10年の水論

明治10年(1877)、新居郡洪水郷の角野(すみの)・泉川両村間で水論。(「近藤晴清「愛媛県国領川流域における水利の歴史地理学研究」による)(伊予の水論〔水争い〕年表) 続きを読む

明治10年の水争い

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明治10年(1877)夏、西潟元村(高松市屋島西町)では田植え水が不足したため、久米池からの配水を要請したところ、春日村、新田村(高松市春日町、新田町)から拒否された。このため、東・西潟元村は久米池貯水の平等配水を要求して裁判所に提訴した。久米池の配水について... 続きを読む

明治9年の干ばつ

明治9年(1876)7月8日~8月28日、干天が続き、稲作収穫皆無の所が出た。地租の延期・年賦納となった者が多数。(香川県、高松気象台、引田町等の資料による) 続きを読む

明治9年の干ばつ

明治9年(1876)7月3日から8月27日にかけて、56日間干害。 続きを読む

明治9年の水論

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明治9年(1876)6月30日、干ばつのため下堰側が請求した大落水について、上堰北方がその執行を遅らせたため、下堰側の農民数百人が堰に集結して、堰を切り崩した。双方に負傷者が出た事態を収拾するため、巡査や戸長が仲介に入ったが解決されず、結局、7月7日に下流3ヶ... 続きを読む

明治9年の水論

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明治9年(1876)6月30日、干ばつのため下堰側が請求した大落水について、上堰北方がその執行を遅らせたため、下堰側の農民数百人が堰に集結して、堰を切り崩した。双方に負傷者が出た事態を収拾するため、巡査や戸長が仲介に入ったが解決されず、結局、7月7日に下流3ヶ... 続きを読む

明治9年の干ばつ

明治9年(1876)夏、干ばつ。数十日雨なく稲収穫皆無田多く、地租貸与の処置を受けるものが続出した。(高松気象台の資料による) 続きを読む

明治9年の干ばつ

明治9年(1876)、旱天打ち続くこと数十日で、稲の収穫が皆無となった。 続きを読む

明治9年の干ばつ

明治9年(1876)夏、干ばつ。数十日降雨なし、収穫皆無田多く、地租貸与の処理を受ける者続出。(多度津測候所・高松気象台・香川県の調査統計書、誉水村議事録等による) 続きを読む

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