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条件: 渇水

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大正2年の干ばつ

大正2年(1913)6月上旬から空梅雨となり、南井上村では7月7日までに全村の田植えを完了したが、8月31日に雨が降るまでおよそ70数日、稲田には灌水ができず、収穫皆無とならざるを得なかった。 続きを読む

大正2年の干ばつ

大正2年(1913)6月~8月、西日本干ばつ。(「徳島県災異誌」等による) 続きを読む

大正2年の干ばつ

大正2年(1913)6月~8月、無降水が30日以上となり、用水欠乏のため、米の収穫が不良となった。小海村の山間部では被害が甚大であった。相生村では62町6反余歩の地租が免除された。(香川県、高松気象台、引田町等の資料による) 続きを読む

大正2年の干ばつ

大正2年(1913)6月、梅雨期に入っても雨は少なく、7月も乾天の日が多く続き、小松島では月雨量が2ミリに過ぎず、徳島の15.7ミリも7月としては第2位の少記録となった。8月18日以降の降雨により干ばつ被害を軽減することができた。水稲収量は非常に悪いという程で... 続きを読む

大正2年の干ばつ

大正2年(1913)2月~8月、干ばつにより農作物被害、飲料水不足。(徳島気象台の記録による) 続きを読む

大正2年の干ばつ

大正2年(1913)夏、80日間一滴の雨もなく、60年目の大旱と称せられた。 続きを読む

大正2年の干ばつ

大正2年(1913)、干害により、被害は4,748haに及んだ。 続きを読む

大正2年の干ばつ

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大正2年(1913)、干ばつのため、三郎池の水配分をめぐって大紛争が起きた。三郎池の貯水量が2割まで減った時、下流の木太村・林村の農民が押しかけて水を流すように迫ったが、上流の三谷側は「最後の水は敷き村の権利だ」と主張して譲らず、堤防上に双方多数の農民が集まっ... 続きを読む

大正2年の干ばつ

大正2年(1913)、干ばつ。県下の干害状況は8月17日現在で、干害面積4,748ha、田の亀裂4,431ha、枯死状態317ha、収穫見込みなきもの429haであった。(「香川県政史年表」による) 続きを読む

大正2年の干ばつ

大正2年(1913)、木太町で干ばつ。 続きを読む

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