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4104件のアーカイブスが見つかりました。

条件: 渇水

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大正3年の干ばつ

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大正3年(1914)、干ばつのため、綾子踊りを行った。(「踊り歳控」による) 続きを読む

大正3年の水争い

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大正3年(1914)、新居郡高柳泉で紛争。(近藤晴清「愛媛県国領川流域における水利の歴史地理学研究」による)(伊予の水論〔水争い〕年表) 続きを読む

大正3年の干ばつ

大正3年(1914)、大干害により植え付けできず、作物も枯れ大凶作。(新聞記事による) 続きを読む

大正3年の干ばつ

大正3年(1914)、大干ばつのため、石手川では特定の井堰から時間を限って集中的に取水する大寄せ水が行われた。すなわち、一ノ井手・草葉両堰で34時間、寺井堰で51時間、徳力・小坂・斉院樋の3堰で25時間、中村・立花・佐古3堰で10時間の配分で、120時間(5日... 続きを読む

大正3年の水論

大正3年(1914)、伊予郡上三谷と下三谷で水論。(「伊豫市誌」による)(伊予の水論〔水争い〕年表) 続きを読む

大正3年の干ばつ

大正3年(1914)、干天。 続きを読む

大正3年の干ばつ

大正3年(1914)、干ばつのため、8月11日に大谷村で祈雨祭。(「大谷村役場日誌」による) 続きを読む

大正2年の干ばつ

大正2年(1913)8月、旱害。8月17日現在の県下の旱害面積は4,748ha、収穫皆無見込みは429haに及んだ。(多度津測候所・高松気象台・香川県の調査統計書、誉水村議事録等による) 続きを読む

大正2年の水争い

大正2年(1913)8月、高井堰の用水が不足し、水田に亀裂をきたす状態になったのを見かねて、藤ヶ井堰の余裕水を供給しようとした。しかし、藤ヶ井堰からの供給は、森国堰と利害相反することとなり、三つの井関関係者間に水争いが起き、富岡警察署長立ち会いのもと、ようやく... 続きを読む

大正2年の干ばつ

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大正2年(1913)8月、干ばつのため、満濃池の底樋(証文閘)を抜く。 続きを読む

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