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条件: 渇水

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大正12年の干ばつ

大正12年(1923)7月下旬から8月まで、甚だしい干ばつとなった。徳島では7月22日から8月30日の40日間に降雨日は3日であった。 続きを読む

大正12年の干ばつ

大正12年(1923)7月下旬~8月中、干ばつ。(「徳島県災異誌」等による) 続きを読む

大正12年の水争い

大正12年(1923)、新居郡金子・泉川両村民と神郷・高津・垣生の各村民が吉岡泉の水利問題で紛争。(近藤晴清「愛媛県国領川流域における水利の歴史地理学研究」による)(伊予の水論〔水争い〕年表) 続きを読む

大正12年の干ばつ

大正12年(1923)、干害。 続きを読む

大正12年の干ばつ

大正12年(1923)、干害甚大。 続きを読む

大正12年の干ばつ

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大正12年(1923)、大干ばつのため、大山祗神社で千人踊りの雨乞いを行った。 続きを読む

大正11年の干ばつ

大正11年(1922)8月、降雨量がわずか78ミリで干ばつ。 続きを読む

大正11年の藤兵衛股の水利紛争

大正11年(1922)6月20日以来、与北側と垂水側で藤兵衛股をめぐって小競り合いががあり、7月1日に暴発した。藤兵衛股では分水俵が設けられ、分水比率は与北側6、垂水側4であったが、分水俵の向き加減から起こった衝突であった。 続きを読む

大正11年の藤兵衛股の水利紛争

大正11年(1922)6月20日以来、与北側と垂水側で藤兵衛股の分水俵をめぐって小競り合いを切り返していたが、7月1日に遂に暴発した。双方の水利組合は寺の梵鐘を鳴らして群衆を動員し、それぞれに拠点を設けて握り飯の炊き出しをして気勢をあげた。堰争いに石が投じられ... 続きを読む

大正11年の干ばつ

大正11年(1922)5月23日から8月1日まで、大干ばつ。(「町見郷土誌(阿部記録)」による) 続きを読む

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