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条件: 渇水
昭和42年(1967)7月中旬から10月下旬にかけて、干ばつのため、徳島県内では鳴門市内の簡易水道が断水するなど農作物、果樹に被害が出た。徳島の月降水量は31.9ミリで平年の19%、9月の月降水量は55.4ミリで平年の22%でいずれも非常に少なかった。 続きを読む
昭和42年(1967)7月9日に93.5ミリの雨があった後、10月5日までの87日間、雨らしい雨がなかった。農作物の被害は、水稲、甘藷、栗、柿、みかんの合計で2億8,407万円余に及んだ。双海町では応急対策事業を行った。 続きを読む
昭和42年(1967)7月9日に93.5ミリの雨があった後、10月5日までの87日間、ほとんど雨がなかった。地表は乾燥し、畑作はもちろん水耕、果樹園芸にまで被害が及んだ。農作物の被害は、水稲、サツマイモ、クリ、カキ、ミカン、樹体被害の合計で2億9,307万円余... 続きを読む
昭和42年(1967)7月10日から10月25日までの80日間の大干ばつにより、特に高山、宮野浦、田之浜地区の上水道の水源地は枯渇して、50日間に及ぶ断水状態となった。このため、飲料水は宇和町・野村町の上水道から連日トラックで運搬して給水を行った。また、農作物... 続きを読む
昭和42年(1967)7月10日から10月5日まで87日間、一粒の雨もなかった。蜜柑はやがて落葉し、枯死するものが続出した。10月3には干害非常事態宣言をして対策本部を設立した。 続きを読む
昭和42年(1967)7月10日~10月5日まで、中島町では降雨が全くなかった。みかんは栽培面積1,442haのうち77.5%の1,195haが被害を受け、被害額は5,084万円余に達した。島では水源確保のための井戸掘り、送水のためのパイプの敷設等の努力が重ね... 続きを読む
昭和42年(1967)7月10日から10月5日までの85日間、西日本を中心に記録的な干ばつとなった。みかんは8月下旬頃から葉が巻き始め、いわゆる菊みかんと呼ばれる肌の凹凸のみかんとなった。スプリンクラー等のかん水施設を急設し、農家は昼も夜もかん水作業に追われた... 続きを読む
昭和42年(1967)7月10日から10月4日まで降雨がなく、異常な干ばつに見舞われた。水稲、野菜などには比較的被害が少なかったものの、みかんに被害が続出した。樹体が枯死するまでには至らなかったが、栽培面積920haのうち70.2%の646haが被害を受けた。... 続きを読む