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条件: 渇水
寛永3年(1626)4月、大風雨となり、その後、7月に至るまで雨がなく干ばつとなった。稲は枯死し、人々は飢餓に瀕した。この後、西嶋八兵衛は藩命を受けて、各地にため池を築くとともに、香東川の付け替えを行うなどした。 続きを読む
寛永3年(1626)4月から7月中旬にかけての3ヶ月余り、讃岐には一滴の雨も降らない大干ばつであった。田は白くひび割れが生じ、稲の収穫は皆無、餓死する者多数と、古い記録は伝えている。当時、高松藩主生駒高俊は伊勢から西嶋八兵衛を招き、藩内でため池築造を進めていた... 続きを読む
寛永3年(1626)4月7日、大風雨、その後3ヶ月間干ばつ。(「讃岐国大日記」、「高松藩記」、「三豊郡史」、「香川県気象災害誌」、「財田村年表」、「香川県史」による) 続きを読む
寛永3年(1626)5月から8月頃にかけて、95日間も雨が降らず、凶作、飢饉となり、多くの村人が死んだ。岡田の大庄屋岡田久次郎は、岡田から8kmもある山中に亀越池を築き、池の水を土器川に流し、これを水路として札の辻の横井まで導き、そこから岡田に通じる堺水路(後... 続きを読む
寛永3年(1626)5月から8月頃にかけて、95日間も雨が降らず、凶作、飢饉となり、多くの村人が死んだ。岡田の大庄屋岡田久次郎は、岡田から8kmもある山中に亀越池を築き、池の水を土器川に流し、これを水路として札の辻の横井まで導き、そこから岡田に通じる堺水路(後... 続きを読む
寛永3年(1626)閏4月7日、大暴風雨。以後95日間、7月15日まで降雨なし、餓死者多数。(「高松藩記」、「庄屋記録」、「讃岐国大日記」による) 続きを読む