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条件: 渇水
明治27年(1894)7月、8月、多少の驟雨ありしのみにて大旱。(「仲多度郡史」による)/用水不足農作ために大旱害を被り、その惨状去年の比にあらず。(測候所による)(香川県の旱魃年表) 続きを読む
明治27年(1894)7月26日から8月末までの徳島の降雨量は24.5ミリで、近国もすべて干ばつに苦しんだ。同時に6月~8月は驚異的な高温となり、月平均気温は平年値より2度位の高めとなった。/水争い。(「中野島村史」による)/137日干。(「山川町史」による)... 続きを読む
明治27年(1894)7月、大変な干ばつが続き、那賀川の水は不十分で稲が枯死寸前となり、農家が取水のために大変苦労した。この時、北岸の大井手堰(羽ノ浦町岩脇)と南岸の竹原堰(阿南市下大野町の通称ガマン堰)の水利組合員の間で水争いが起こった。 続きを読む
明治27年(1894)7月26日から8月末までの徳島の降雨量は24.5ミリで、近国もすべて干ばつに苦しんだ。同時に6月~8月は驚異的な高温となり、月平均気温は平年値より2度位の高めとなった。/水争い。(「中野島村史」による)/137日干。(「山川町史」による)... 続きを読む
明治27年(1894)7月26日から8月末までの徳島の降雨量は24.5ミリで、近国もすべて干ばつに苦しんだ。同時に6月~8月は驚異的な高温となり、月平均気温は平年値より2度位の高めとなった。/水争い。(「中野島村史」による)/137日干。(「山川町史」による)... 続きを読む
明治27年(1894)、大干ばつのため、7月19日午前1時頃、竹原堰の下流にある大井手堰の組合員千人余が舟路の浚渫という名目で、竹原堰を縦断して400間にわたり幅5間、深さ3尺の水路を作り、竹原堰の水を横取りした。このため、翌20日には大井手堰と竹原堰の両組合... 続きを読む
明治27年(1894)5月から8月にかけて高温が続き、降らなかったため、大井手用水が渇水となった。そのため、7月19日に十余名が舟路を開削すると称して延長2,400mの川ざらえを行い、南岸の堰を掘り切った。翌20日には南岸から600名余りの農民等が投石し合い負... 続きを読む