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条件: 渇水
万延元年(1860)~文久元年(1861)の干ばつにより、特に小豆島東部で生活困窮者が続出した。内海地区の各村では住民8,734人の41%にあたる3,584人が、また福田・吉田の両村では住民1,082人の30%にあたる323人が、成人男子1人当たり1日4合、老... 続きを読む
文久元年(1861)、宮ノ下川原にて千人踊。(三浦の田中家史料「御書出魁書此外珍事為覚語代々記」による)/文久元年(1861)は干ばつであったが、2回の慈雨によりかろうじて干損を免れた。吉田藩三間の是房村旧庄屋毛利家には干ばつの記録「旱魃日記」が残されている。... 続きを読む
文久元年(1861)5月~7月、干ばつ。真覚寺日記には「6月9日諸方雨乞の祈祷有という。近年未曾有の旱ばつ也、6月20日此頃の旱魃一宮近辺別して甚しく水に乏しく田畑は勿論朝夕飯事に用ひるさへ不自由也という。雁切川徒渡り石立八幡辺りまでも同断、6月22日夜四ツ半... 続きを読む
文久元年(1861)5月初旬以来、干天が続いた。郡中地方では6月23日、24日に戎社で雨乞い踊りを行い、7月2日には総村千人踊りの雨乞いを実施した。7月16日に雨が降り始め、17日には大雨となった。(「塩屋記録」による) 続きを読む